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報道におけるタブー(ほうどうにおけるタブー)では、マスコミが不祥事などの否定的な報道を行うことを控えている特定の事柄について記述する。 == 概説 == およそ表現の自由が認められている国では、報道の自由が認められており、少なくとも建前上は報道にタブーなるものは存在しない。日本においても日本国憲法により言論の自由・報道の自由が認められており、見かけ上はタブーは存在しない。しかし、実際には諸事情により、マスメディアが特定の事件や現象について報道を控える話題・問題が存在する。日本ではキー局や全国紙など広範囲に影響を与えるメディアほどその傾向が著しく、こうした姿勢に対する批判も存在する。 しかし日本と欧米を中心とした諸外国では、表現の自由に係る根本的な考え方に大きな違いがある(詳しくは表現の自主規制を参照)。すなわち報道内容に係る責任の帰属が、欧米を中心とした諸外国では表現者であるが、日本ではマスコミであり、日本では訴訟となると、マスコミ側にまず勝ち目はない。従って日本では読者や視聴者、官庁、企業や団体、他国から抗議・圧力を受けたり、訴訟を起こされたり、物理的ないし経済的な損失を被る危険がある話題について、大多数のマスコミは触れたがらないのである。すなわち、タブーの本質はマスコミという組織の中にある。 一方、欧米を中心とした諸外国では表現者に責任が帰属するため、報道内容は多様であるのが普通、被取材者の表現を肯定あるいは否定するマスコミ自身の表現も加わり、日本では偏向報道として問題となるような、自由な報道内容もある。すなわち一見、タブーは存在せず、他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミが多数あるように見えるが、表現の責任の所在は原則、個人であるため、タブーは表現者個人(被取材者のみならず、各マスコミや個別案件ごとの担当者)の中にそれぞれある。また、過去の歴史的経緯などから特定の内容の報道について、法律による一定の規制を課しているところもある。一方で「いちいち規制するものという概念」そのものがないことも多く、結果、むしろ無数に存在する。 日本にも、他社が報道しないことを報じていることを売り物にするマスコミもある〔例えば、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』はタブーを打ち破る報道で世論を動かしてきたとアピールしている。他には噂の眞相、サイゾー、紙の爆弾など。〕が、欧米を中心とした諸外国ほど多くはない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「報道におけるタブー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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