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塔 和子(とう かずこ、本名・井土 ヤツ子(いづち やつこ)1929年8月31日 - 2013年8月28日)は、日本の詩人。11歳でハンセン病を発病し、国立療養所大島青松園に入所するかたわら、多くの詩を書いた。 ==生涯== 1929年8月31日、愛媛県東宇和郡(現西予市)明浜町田之浜にて、8人きょうだいの3番目の次女として生まれる。1941年、田之浜国民学校初等科6年生の春、11歳の時(と思われる)にハンセン病を発病。1943年6月21日、13歳の時に、ハンセン病により国立療養所大島青松園(おおしませいしょうえん)に入所。1951年9月、同園の赤沢正美と結婚。1952年頃に、特効薬プロミンによりハンセン病が完治。 1957年頃から詩作を始め、1961年に初の詩集『はだか木』を出版。1964年、園内のキリスト教会で洗礼を受ける。1989年、毎日放送テレビドキュメント「不明の花-塔和子の世界」放映。1999年、詩集『記憶の川で』で第29回高見順賞受賞。2000年11月、夫・赤沢正美死去。2003年、塔の詩をモチーフにハンセン病隔離の歴史と今を検証したドキュメンタリー映画「風の舞-闇を拓く光の詩(うた)」(監督・宮崎信恵、詩の朗読・吉永小百合)公開。2004年1月、NHKテレビ四国スペシャル「生きた証し・ハンセン病療養所の詩人・塔和子」を放映。同年3月、朝日放送(ABCラジオ)日曜スペシャル「魂の共鳴り-詩人・塔和子とハンセン病、そして人々」を放送。同年10月2日、高松市内で「全国豊かな海づくり大会」に出席中の天皇・皇后両陛下と歓談。『塔和子全詩集』(全3巻)を含めて20冊の詩集を発行。2011年5月21日~6月26日まで、国立ハンセン病資料館で、同資料館と塔和子の会共催で「塔和子展」を開催。 塔和子の会の川﨑正明代表は「塔和子の詩は、自己の存在を根源的に見つめながら、一貫して人間の尊厳を問い、一生懸命に生きようとする魂の叫びとして読者の心に響く詩です。高見順賞の選者、大岡信は『自分の本質から湧き出してくる言葉を繰り返し追求している』と評し、文学界でも高い評価を得ています。」と述べている。〔『いのちの詩(うた) 塔和子展』リーフレット(編集・発行 国立ハンセン病資料館 2011)の中の塔和子の会の代表、川﨑正明による〕 2013年8月28日午後3時10分、急性呼吸不全で死去。満83歳。大島青松園に入所した期間は70年3カ月だった。同年11月3日、大島青松園大島会館で「塔和子さんを偲ぶ会」を開催(塔和子の会主催)。遺骨は大島青松園の納骨堂に納められたが、2014年3月17日、故郷の西予市明浜町田之浜の墓地に、本名・井土ヤツ子の名前で分骨された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塔和子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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