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塩崎 潤(しおざき じゅん、1917年5月31日 - 2011年5月27日〔時事ドットコム:塩崎潤氏死去(元総務庁長官、塩崎恭久元官房長官の父) 〕)は、日本の政治家、衆議院議員、大蔵官僚、翻訳家。長男は衆議院議員の塩崎恭久。長女は法学者の山根裕子。次女は外交官の角崎利夫夫人でアジア防災センター主任研究員の角崎悦子〔塩崎恭久 近現代・系図ワールド~政治家系大事典~塩崎潤 〕。 == 来歴・人物 == 愛媛県松山市出身。松山中学、旧制松山高校を経て、1941年東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科を卒業後、大蔵省に入省する。主に主税局畑を歩き、1965年国税庁次長、大蔵省主税局長を歴任した。 1967年大蔵省を退官し、翌1968年の第8回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から出馬。この時は落選に終わるものの、1969年の第32回衆議院議員総選挙では郷里の愛媛1区から自民党公認で立候補して雪辱を果たした。以後、当選8回。自民党では、宏池会に所属。1970年のいわゆる「大平クーデター」では、宏池会会長の前尾繁三郎を田中六助、田沢吉郎らとともに批判し、宏池会会長を前尾から大平正芳に交代させる原動力となった。 1982年第1次中曽根内閣の経済企画庁長官として初入閣。1990年第2次海部内閣の総務庁長官。また、自民党税制調査会の比重を高めた功労者として知られ、政府税制調査会よりも先に自民党税調が年度の税制改正大綱を発表する形をとり、(プロ野球で近年言われる投高打低にたとえて)党高政低を顕在化させた。税制関係の著書や翻訳も多数。 1992年阿部文男元北海道開発庁長官が逮捕された共和汚職事件で宏池会の議員が多数関与が取りざたされる中で塩崎の名も上がり、証人喚問を受ける。1993年政界を引退した。 2011年5月27日、老衰のため東京都内の病院で死亡。93歳没〔。没日付で日本政府から正三位が追贈された〔官報第5580号本紙第10面(平成23年6月21日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塩崎潤」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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