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塩村克己 : ミニ英和和英辞書
塩村克己[しおむら かつみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
克己 : [こっき]
  1. (n,vs) self denial 2. self control 
: [き, つちのと]
 【名詞】 1. 6th in rank 2. sixth sign of the Chinese calendar

塩村克己 : ウィキペディア日本語版
塩村克己[しおむら かつみ]

塩村 克己(しおむら かつみ、1969年1月5日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターに所属した騎手。引退後は同会田中章博厩舎所属の調教助手を務める。大阪府出身。騎手時代のおもな騎乗馬に1994年の天皇賞(秋)を制したネーハイシーザーがいる。JRA通算は3454戦289勝、うちGI競走1勝を含む重賞7勝。ほか地方競馬主催の統一重賞で1勝を挙げている。
== 来歴 ==
1969年、大阪市北区サラリーマン家庭の長男として生まれる。従兄が馬術の名門杉谷乗馬クラブに勤務していた関係もあり、小学校6年生の時から同クラブで乗馬を始めた〔木村(1998)pp.172-173〕。2年次のころ、小柄であったことにより周囲から騎手になることを勧められ、中学校卒業後、JRA競馬学校騎手課程に第3期生として入学した〔。同期には蛯名正義芹沢純一武豊らがいる〔芹沢はデビュー1年遅れ。〕。
1987年に騎手免許を取得、栗東トレーニングセンター・小林稔厩舎所属騎手としてデビュー。3月7日に初騎乗、同22日に初勝利を挙げた。当年、同期の内で新人最多勝利記録を更新した武豊(69勝)に次ぐ33勝を挙げ、若手のホープに数えられた。翌1988年にも初年度を上回る35勝を挙げていたが、12月11日の愛知杯の競走中に騎乗馬が転倒し落馬。左腕を複雑骨折する重傷を負った〔木村(1998)p.174〕。約10カ月の療養後に翌年復帰すると、年末の阪神牝馬特別を9番人気のルイジアナピット〔2008年のエリザベス女王杯を制したリトルアマポーラの祖母。〕で制し、重賞初勝利を挙げた。
翌1990年以降は20勝前後の成績が続き、1993年に小林厩舎を離れてフリーに転身。これをきっかけとして騎乗依頼が減少したが、この様子を見た布施正厩舎からネーハイシーザーの騎乗を依頼される〔木村(1998)pp.175-176〕。以後同馬とのコンビでは、同年の中日スポーツ賞4歳ステークスのレコード勝ちを始めとして、翌1994年には大阪杯京阪杯(コースレコード)、毎日王冠(日本レコード)と次々に重賞に勝利。10月30日には天皇賞(秋)に臨んで3番人気に支持され、セキテイリュウオーに1馬身半差を付けて優勝、人馬ともにGI競走初制覇を果たした。当年、塩村は自己最高の41勝を挙げた。
翌年以降は徐々に成績を落とし始め、1999年からはひと桁の勝利数が続いた。2001年、栗東・田中章博厩舎所属となったのち、翌2002年2月28日付けで騎手を引退した。その後は引き続き同厩舎にて調教助手として所属している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「塩村克己」の詳細全文を読む




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