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塩沢 勝吾(しおざわ しょうご、 1982年9月9日 - )は、長野県出身のサッカー選手。Jリーグ・AC長野パルセイロ所属。ポジションはFW。 == 来歴 == 1982年、長野県に生まれる。上田高校を卒業後、浪人生時代に地元クラブ・上田ジェンシャンでプレー。 山形大学に在学中の2005年9月、当時Jリーグ2部(J2)のモンテディオ山形に特別指定選手として登録されたが、出場機会を得ることはできず、山形とは2006年の選手契約を結ばないことになった〔山形大から初Jリーガー、塩沢が水戸決定 日刊スポーツ東北版 2006年1月15日〕。その後、J2のサガン鳥栖と水戸ホーリーホックのセレクション(入団テスト)を受験し、水戸に合格。JFLの佐川印刷SCからの誘いもあったが、山形のコーチだった手倉森浩のすすめもあり、水戸への入団を決めた〔。 水戸では入団1年目のJ2開幕戦からデビューを果たし、10月にはプロ初ゴールを記録。翌年には主力選手として定着し、7ゴールを挙げた。しかし、2008年は不振に陥り、シーズン途中にはセンターバックへの転向を図ったものの〔SPECIAL INTERVIEW JFL得点王、見参!! 塩沢勝吾 週刊サッカーマガジン 2010年1月18日号 44ページ〕、この年限りで戦力外となった。 2009年は、佐川印刷SCからFW起用を前提としたオファーを受け、午後は社業に従事する社員選手として入団した〔。すると、チームにすぐに溶け込み、JFLリーグ戦17得点でシーズン得点王を獲得した。2010年は前年ほどの活躍はできずこの年限りで佐川印刷を退団した。 2011年より地元の松本山雅FCに移籍した。 2011年シーズンはFW陣に木島良輔、木島徹也、片山真人らが揃っており機会に恵まれず3得点に留まる。 松本山雅のJ2参入となった2012年は反町康治監督の指導の元でブレイクを果たし、自身初のJでの2ケタ得点となる11得点を挙げた。 2013年も開幕戦の栃木SC戦でこの年のJ2ファーストゴールを決めるもののその後は長沢駿との併用などもあり不振が続いたが、後半戦に入り復調し、2年連続2ケタ得点となる10得点を挙げた。 2014年は新加入のサビアに開幕スタメンを奪われ、途中出場が主となるものの開幕以来全試合に出場していたが、5月24日のJ2第15節ジュビロ磐田戦で左アキレス腱断裂の重症を負い、全治5ヶ月と診断された。11月15日のJ2第41節FC岐阜戦に途中出場して復帰を果たした。 2015年で松本山雅との契約を満了。2016年に同じ長野のAC長野パルセイロに完全移籍〔新加入選手のお知らせ - 2016年1月8日 AC長野パルセイロ公式サイト〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塩沢勝吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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