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塩沢 とき(しおざわ とき、1928年4月1日 - 2007年5月17日)は、日本の女優。本名及び旧芸名は塩沢 登代路(とよじ)。東京市牛込区中里町出身。実践高等女学校卒。亡くなるまで東宝芸能に所属。趣味は食べ歩き。 == 来歴・人物 == 1947年(昭和22年)、19歳。越後憲、杉葉子らとともに東宝ニューフェイス第2期に合格。 1950年(昭和25年)、22歳。端役で『女三四郎』にて映画初出演。 以降『武蔵野夫人』、『うれし恥かし看板娘』、『見ないで頂戴お月さま』、『大学のお姐ちゃん』など1950年代の数々の東宝の作品に清楚な美人女優として出演する。 1958年(昭和33年)、30歳。舌癌を病み、その手術の際に総入れ歯となってしまう。 1969年(昭和44年)、41歳。この年開始された『ケンちゃんシリーズ』ではシリーズ全般に渡り、強烈な教育ママ役で多数出演(決まり台詞は「んま~、なんてことでしょ!」であった)。 1970年(昭和45年)代になり、映画からテレビの時代に入ると、様々なテレビドラマの脇役として大活躍。特に子供向けのドラマ作品では個性的な役を演じた。 1972年(昭和47年)、44歳。『愛の戦士レインボーマン』の魔女・イグアナ役を演じる。この役では、近しい人たちから「汚れ役ではないか」と意見されたりしたが、塩沢にとってはこれはまったく心外で、「女親分のイメージでこれを演じ、現実離れした魔女のキャラクターでストレスを発散させ、大いに楽しんだ」と後に語っている。また「メイクも衣装も全て自分で考えた」と、『テレビ探偵団』ではコメントしていた(ドラマ終盤には再登板の依頼があったが、塩沢のスケジュールが合わず実現しなかった)。 1973年(昭和48年)、45歳、『へんしん!ポンポコ玉』で覗き見が趣味の隣の奥さん・鵜之目タカ子役を演じる(お決まりの台詞は「見たわよ見たわよぉ〜」)。 1976年(昭和51年)、48歳 『円盤戦争バンキッド』にて、家のアンテナの異変をいつも目撃して大騒ぎする宇崎家の婿養子・博彦(演:柳生博)の妻役を演じた。決まり台詞は「あ~た!何をやってらっしゃるの?」であった。 1981年(昭和56年)、53歳。『徹子の部屋』で、30歳の折の癌と総入れ歯のエピソードを初告白、その後、自らの癌体験を本にして出版する。また、このときに過去の恋愛を披露し、さらには「男性のものを頂く」という間接的表現で精飲など情熱的な性行為を告白した。のちに『ライオンのいただきます』に出演した際、視聴者からの『彼の精液がどうしても飲めないんです』という相談に対して、『私なんか(今迄に)一升ぐらい飲みましたわよ』と発言したこともあった。 その後、『月曜ドラマランド』などではお金持ちの奥様役やカカア天下の上司夫人役を多く演じる。 1984年(昭和59年)、56歳。『ライオンのいただきます』にゲスト出演、その上品な口調で下ネタを連発するトークと、大きく結った独特のヘアスタイルで人気を博し、ドラマにバラエティに映画にと出演を重ねる。この独特の左右に張り出した巨大な髪型は、発泡スチロールの芯を入れた特注品で、デヴィ夫人に憧れてこの髪型にしたとの説もある。 1985年(昭和60年)、57歳。右乳癌を患い入院、手術。その後はマイペースにドラマ、映画、舞台、などの仕事をこなしていく。 1999年(平成11年)、71歳。今度は骨粗鬆症を患うが、5年間の闘病生活を送るなか、その間も杖を使いながら少しずつドラマなどの仕事をこなす。 2004年(平成16年)、76歳。新薬の効果で骨粗鬆症を無事完治したのもつかの間、左胸に違和感があり、9月に受けた前回の執刀医による診察で、乳癌であることが判明。ごく初期だったため、乳房を残す方法も検討されたが「ありったけ取ってください」と全摘出。手術は無事成功し、回復後元気に仕事をこなす。 2005年(平成17年)、77歳。乳がんの手術のため、テレビ出演はできなかった。最後のテレビ出演は『徹子の部屋』だった。 2007年(平成19年)5月17日、スキルス性胃癌のため東京都目黒区の病院で死去。。舌癌・左右両方の乳癌と3回もの癌の罹病を克服し、「癌は治る」と元気に話していた最中の死去だった。 平田昭彦に「憧れの情を持っていた」とインタビューで述べている。平田は小学校のときの同級生で、同じ東宝に所属し、『大学のお姐ちゃん』や『レインボーマン』など、多くの作品で共演している。 好物はヒレステーキ。癌による乳房切除までは巨乳の芸能人として有名だった。 生活は質素で、生涯借家住まいで独身だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塩沢とき」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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