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塩浦 慎理(しおうら しんり、1991年11月26日 - )は、日本の競泳選手。 == 人物 == 神奈川県伊勢原市出身〔塩浦選手が日本代表に タウンニュース伊勢原版 2013年4月26日号〕。2歳で水泳を始め、イトマンスイミングスクール新百合ヶ丘校に入門して泳力鍛錬に励んだ。伊勢原市立山王中学校を経て湘南工科大学附属高等学校に進学する〔。 高校3年次には平成21年度全国高等学校総合体育大会で男子50m・100m自由形で優勝し〔高校総体(インターハイ)2009近畿まほろば総体水泳競泳男子50m自由形結果 Swimming Navi〕〔高校総体(インターハイ)2009近畿まほろば総体水泳競泳男子100m自由形結果 Swimming Navi〕、更に全国JOCジュニアオリンピックカップ水泳競技大会(2009年)にて、高校生として初めて50秒を切る49秒85(当時の高校日本記録)のタイムを出して優勝した〔高1の福留、日本記録に0秒46 競泳のジュニア大会 共同通信47News 2009年8月29日閲覧〕。 2010年、中央大学に進学する。翌年の2011年には2011年夏季ユニバーシアード(深圳)に出場し、男子50m・100m自由形で3位に入賞し、男子4×100mメドレーリレーではアンカーとして出場、金メダル獲得の立役者になった〔【ユニバ第8日】競泳男子メドレーリレーが金メダル、酒井は2冠 深センユニバーシアード競技大会2011 日本オリンピック委員会公式サイト〕。 こうした活躍もあり、ロンドンオリンピック出場への期待が膨らんだ矢先の2012年3月に左人差し指を骨折するアクシデントに見舞われ、左手の握力が大幅に落ちるという状況になった。そして迎えた第88回日本選手権水泳競技大会(ロンドンオリンピック代表選考会)では、骨折の影響から本来のスピードに乗れず50m、100m共に3位となりオリンピック代表を逸した〔自由形の歴史を変える Hakumon Chuo〕。塩浦はその後、水泳から離れた時期があったが周囲の期待を受けていることを身にしみて再起を決めた。 2013年は課題のスタート練習に取り組んだ成果もあり、第89回日本選手権水泳競技大会(2013年世界水泳選手権代表選考会)では男子50m自由形で22秒03の日本新記録を樹立し、世界選手権代表に選出された〔〔〔競泳・日本選手権、中大の塩浦が日本新でV 神奈川新聞 2013年4月15日付〕。 2013年世界水泳選手権(バルセロナ)では、個人男子100mでは予選で48秒52を出して4位通過、準決勝では48秒51を出したが10位になったため、決勝進出を逸した。また男子4×100mフリーリレー3:14.75では第一泳者として出場し、8位で予選を突破すると決勝では3分14秒75で8位入賞となり、4×100mリレーでは五輪・世界選手権を通じて初の入賞〔尚、競泳男子フリーリレーに限れば、1964年東京オリンピックでの4×200mフリーリレーでの銅メダル獲得以来の入賞であった。〕となった。最終日の男子4×100mメドレーリレー決勝では入江陵介、北島康介、藤井拓郎の後を受けたアンカーで出場、3分32秒26のタイムで4位に入着したが、第1位入着のアメリカが失格(第一泳者から第二泳者への引き継ぎミス)となった為、繰り上がりで3位となった〔男子400メドレー 繰り上がりで銅メダル獲得 女子は5位 スポーツニッポン 2013年8月4日付〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塩浦慎理」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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