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塩焼王(しおやきおう)は、日本の奈良時代の皇族。のち臣籍降下し氷上 塩焼(ひがみ の しおやき)と称した。官位は従三位・中納言。父は新田部親王で、天武天皇の孫にあたる。母は未詳である。 == 来歴 == 天平5年(732年)3月、親王の子に対する蔭位として無位から従四位下に叙される。天平12年(740年)1月には従四位上に昇叙。同年10月には聖武天皇の伊勢行幸に御前長官として供奉。同年11月には正四位下に昇叙。この間に中務卿に任じられている。 天平14年(742年)10月、女嬬4人とともに投獄された後、伊豆国に配流された。その理由について史書は多くを語らないが、皇位継承問題に関わる政争に巻き込まれた結果と推測される。天平17年(745年)に赦免されて帰京し、翌天平18年(746年)閏9月には本位(正四位下)に復している。 天平宝字元年(757年)3月に弟の道祖王が孝謙天皇の皇太子を廃されると、藤原豊成や藤原永手らによって後継の皇太子に推されたが、かつて聖武上皇に無礼を責められたことがある(これが伊豆配流の原因を指すと考えられる)という理由で孝謙天皇本人に反対されて実現しなかった。皇太子には舎人親王の子・大炊王(のちの淳仁天皇)が立てられた。同年5月に正四位上に昇叙し、6月には大蔵卿に任じられた。同年7月に起きた橘奈良麻呂の乱でも新天皇候補のひとりに挙げられて関与を疑われたが、結局不問に付されている。 翌天平宝字2年(758年)「氷上真人」の氏姓を下賜されて皇親の身分を離れ、同年従三位に叙される。姉・陽侯女王の夫で当時淳仁天皇を擁して政権を握っていた恵美押勝(藤原仲麻呂)に接近して栄達をはかり、天平宝字6年(763年)1月には参議、同年6月には中納言に至った。 天平宝字8年(764年)9月に押勝が武装叛乱に追い込まれると(藤原仲麻呂の乱)、押勝により天皇候補に擁立されて「今帝」と呼ばれた、押勝の敗走に伴い孝謙上皇方が派遣した討伐軍に捕らえられ、近江国で押勝一家とともに殺害された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塩焼王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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