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塩谷定好 : ウィキペディア日本語版
塩谷定好[しおたに ていこう]
塩谷 定好(しおたに ていこう、本名:しおたに さだよし、1899年10月22日 - 1988年10月28日)は、日本写真家
日本の芸術写真の分野で草分け的存在として活躍。大正時代に一世を風靡した単玉レンズのカメラ「ヴェスト・ポケット・コダック」(通称ベス単)を愛用し、「ベス単のフードはずし」と称された軟調描写(ソフトフォーカス)が作品の特徴。生まれ育った故郷を愛し、生涯にわたって山陰地方の自然を撮り続けた。
== 経歴 ==

=== 人物 ===
鳥取県東伯郡赤碕町(現琴浦町)に生まれる。生家は廻船問屋である。
小学生の時からカメラを手にし、小学5年生でカメラを買ってもらう。倉吉農学校を卒業後、1919年(大正8年)、赤碕にて写真の愛好会「ベストクラブ」を創設。1926年(昭和元年)、写真雑誌「アサヒカメラ」創刊号第1回月例コンテストで作品《漁村》が1等に選ばれる。その後、国際写真サロン、日本写真大サロンなどの展覧会、コンテストで入選、受賞を重ね、1927年(昭和2年)芸術写真研究会会員、1928年(昭和3年)日本光画協会会員、1934年(昭和9年)国際写真サロン特待員会員となり活躍する。1975年(昭和50年)に『塩谷定好名作集』が出版され、芸術写真見直しの機運を高めた。

1979年(昭和54年)欧州主要都市12か所を巡回した「今日の日本の写真とその起源」展、1982年(昭和57年)西ドイツ(当時)のケルン美術館の「フォトグラフィ1922-1982」に出品、後者ではフォトキナ栄誉賞を受賞。1983年(昭和58年)日本写真協会功労賞を受賞。1988年(昭和63年)「ヒューストンフォトフェスト」(アメリカ)において「塩谷定好展」を開催。その後アメリカ国内7会場を巡回した。同年、89歳で死去。
作品はフランス写真協会、ハンブルク工芸美術館、サンタフェ美術館、東京都写真美術館横浜美術館鳥取県立博物館島根県立美術館米子市美術館などに所蔵されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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