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塩谷 惟純(しおのや これずみ、大治元年(1126年)?〔「堀江記」「堀江物語絵巻」等の記述に基づくが、信憑性に疑いもある。〕 - 没年不詳)は、平安末期の下野国塩谷郡の武将。父は塩谷頼純、母は原重房の娘で頼純の正室の弥生。子に塩谷惟頼、惟広がいる。幼名は月若丸。左衛門尉、下野武者所。 == 略歴 == 源姓塩谷氏(堀江氏)の二代目当主。 惟純(月若丸)は、塩谷(堀江)頼純の嫡男として生まれるが、3歳の時に父頼純が母方の祖父原重房の謀略によって殺害され、母の弥生も自害する不遇があり、弥生は自害の寸前、月若丸を乳母の更科に託し、更科は、陸奥国(下野風土記には武蔵国とあり)岩瀬の郡司岩瀬権太夫の養子として月若丸を預けた。月若丸は、その事実を知らぬまま育ち、13歳の時に岩瀬太郎家村と名乗って元服するが、15歳の時、更科は、その死の間際に真相を明かし、月若丸は、岩瀬権太夫の助力を得て軍勢を起こして上洛。朝廷の許しを得て、父を討った原重房の討伐を敢行する。 月若丸は、父の旧臣長井次郎安藤太などの力を得て重房を打ち破り、母方の祖父である縁から死罪は許して追放(堀江記では、重房の首を鋸引きにして落とし、父母の墓前に供えたとする)して、本領である塩谷郡に復帰。塩谷荘三十三郷三万八千町を支配する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塩谷惟純」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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