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塩谷惟頼(しおのや これより、生没年不詳)は、平安末期の下野国塩谷郡の武将。父は塩谷惟純。子に正義、朝義、弟に喜連川塩谷氏の祖惟広がいる。左衛門尉、下野武者所。堀江惟頼とも言う。 == 概要 == 源姓塩谷氏(堀江氏)の三代目。 惟頼がいつ頃生まれ、いつ頃に家督を継いだかは不明であるが、瑠璃堂縁起という書物に「嘉応元年(1169年)四月八日源惟頼の御世」との記述がある事から、この頃には、父の隠居又は死により、家督を継いでいたものと思われる。また、矢板城を居城としたという伝承もある。〔川崎城跡・御前原城跡発掘調査報告書 栃木県矢板市教育委員会 2002年3月発行〕 寿永2年(1183年)に源頼朝の平家追討軍に参加し、山城国宇治郷にあった木幡大明神に戦勝を祈願し、翌寿永3年(1184年)正月20日、宇治川の戦いに出陣し、戦功を挙げて勝利。その後も、平家と戦いながら転戦し、平家が滅亡すると文治2年(1186年)3月15日、戦勝に感謝し、木幡大明神を遷宮し、塩谷郡の惣社として木幡神社を創建し、塩谷氏の氏神とする。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塩谷惟頼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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