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塩野 七生(しおの ななみ、女性、1937年7月7日 - )は、日本の歴史作家である。名前の「七生」は、7月7日生まれであることに由来。 == 来歴・人物 == 東京市滝野川区(現・東京都北区)生まれ。東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。日比谷高校時代は庄司薫、古井由吉らが同級生だった。1963年からイタリアで学び、1968年に帰国すると執筆を開始。『中央公論』掲載の「ルネサンスの女たち」でデビュー。担当編集者は塙嘉彦であった〔『男たちへ』文春文庫、pp.45-49〕。 1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。同年から再びイタリアへ移り住む。ローマ名誉市民を経てイタリア永住権を得ており、ローマに在住。 イタリア中心に、古代から近世に至る歴史小説を多数執筆。またエッセイや時事批評、1970年代にユーロコミュニズムで支持者を増やしていたイタリア共産党に関する文章も書いている〔「イタリア共産党賛歌」1976年 文藝春秋社刊〕。ローマ帝国前期の「小さな政府」を理想としており、直接的に小泉構造改革を支持していたと思われる叙述が見られる〔『日本人へ リーダー篇』(2010年 文春新書) 190 - 195ページ「拝啓 小泉純一郎様」より〕。1992年から古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆し、2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『文藝春秋』で巻頭エッセイ「日本人へ」を執筆。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「塩野七生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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