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境田 昭造(さかいだ しょうぞう、1927年4月6日〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕 - 1991年9月9日〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕)は、日本の漫画家である。日本漫画家協会会員。 ==略歴== 東京都文京区本郷生まれ〔『現代ベラボウ紳士録』著者紹介より〕。駒込学園高等学校をへて〔『現代ベラボウ紳士録』著者紹介より〕、1950年、拓殖大学政経科卒業〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕。 在学中から近藤日出造に師事して大人漫画家となり、1950年に漫画集団の同人となる〔『20世紀日本人名事典』〕。昭和30年代から40年代にかけて、独特のデフォルメのキャラクターを描いて一世を風靡〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕。 「若手落語会」「東横落語会」などを主宰した湯浅喜久治と知人だったことから、若手落語家たちと友達同様に交流することになる。談志・円楽・志ん朝らとは若手時代からつきあいで、柳朝・志ん朝の「二朝会」はプロデューサー的に関わった〔『快人噺家十五面相』〕。 だが、ピストルの不法所持事件を起こし〔山本和夫『漫画家 この素晴らしき人たち』(サイマル出版会)P.252〕、また1964年に「新人女優との情事事件」がマスコミにとりあげられ、不眠症で飲んでいた精神安定剤の影響のため1966年に精神科に入院した〔『快人噺家十五面相』〕。 8ヶ月の入院生活の後、退院しふたたび漫画家として活躍〔『快人噺家十五面相』〕。しかし、1974年12月から奇病が発症(のち溶血性貧血と判明〔『快人噺家十五面相』〕)、以降の7年間全く空白の時を過ごした〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕。1982年5月漫画集「魔女の花束」を私家版で出版して復活〔日外アソシエーツ現代人物情報より〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「境田昭造」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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