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増島竜也 : ミニ英和和英辞書
増島竜也[ぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぞう]
 (n) increase
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [りゅう]
 【名詞】 1. (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi) 
: [なり]
 (n) a sum of money

増島竜也 ( リダイレクト:増嶋竜也 ) : ウィキペディア日本語版
増嶋竜也[ますしま たつや]

増嶋 竜也(ますしま たつや、1985年4月22日 - )は、千葉県千葉市出身のプロサッカー選手Jリーグ ディビジョン1柏レイソル所属。ポジションはディフェンダー(DF)セント・フォースとマネジメント契約。
== 来歴 ==
小学2年生の時に兄に誘われてサッカーを始める。1999年度の全国高校選手権を制した市立船橋高校に憧れ、2001年に同校へ進学。センターバック(CB)にコンバートされ〔TOKYO MANIA Vol.6 増嶋竜也選手インタビュー 182ch〕、同年のインターハイで優勝に貢献。1年生で唯一優秀選手に選出された。2年時には全国高校選手権、3年時には高円宮杯で優勝し、高校生年代の3大タイトルを獲得した。高校No.1DFとして〔【天皇杯3回戦プレビュー】横浜FM vs 市立船橋高、Jリーグ王者に挑む市立船橋高校 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2003年12月13日)〕〔金の卵を探せ!注目選手紹介 第4回 増嶋竜也 (市船橋) 日刊スポーツ (2003年)〕多くのJリーグクラブが獲得に名乗りを上げる中、2003年10月にFC東京への加入内定が発表された〔 FC東京 (2003年10月29日)〕。また、この年には主将としてチームを牽引し、同期の石井秀典カレン・ロバート佐藤優也鈴木修人高橋昌大らと共に冬の天皇杯で3回戦に進出〔【天皇杯3回戦 横浜FM vs 市立船橋高校】スターティングメンバー発表 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2003年12月14日)〕。J1で優勝したばかりの横浜F・マリノスを相手に互角以上の闘いを演じたが〔Jリーグ王者を追い詰めた高校王者(後編)(天皇杯3回戦 横浜F・マリノスvs市立船橋高校) スポーツナビ (2003年12月14日)〕、増嶋は後半終了間際に2度目の警告を受けて退場してしまう。その後PK戦までもつれチームは敗退した。なお、この試合の退場による出場停止処分は、2週間後の全国高校選手権の初戦に課された。
2004年よりFC東京に加入。第1節の新潟戦で早速公式戦デビューを果たした〔選手出場記録 Jリーグ (2004年6月26日)〕。同年開催のAFCユース選手権ではU-19日本代表の主将を務め、3バックの中央に入り守備を統率〔アジアユース2004プレビュー スポーツナビ (2004年9月24日)〕。翌年のワールドユース出場権を確保したものの、増嶋にとってはPK失敗やオウンゴールなど苦い経験を味わった〔 東京中日スポーツ (2004年10月22日)〕。大熊清U-20代表監督からの信頼は厚く、ワールドユースでも代表主将を務め、全試合に出場した。2006年、J1第6節横浜FM戦でFC東京での初得点を記録。後半ロスタイムに今野泰幸のヘディングからの落としをボレーで蹴りこんだ〔【J1第6節 横浜FM vs F東京 レポート】 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2006年4月1日)〕。同年8月より2008年のオリンピックを目指す日本代表が新たに発足し、増嶋も名を連ねたが〔【4th MEDIA連動企画:インタビュー】U-21日本代表:増嶋竜也 (FC東京) J's GOAL (2006年8月29日)〕、FC東京では茂庭照幸ジャーンのCBコンビに阻まれ〔【J1:第16節 F東京 vs 甲府 プレビュー】 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2007年6月19日)〕、起用は彼らの負傷時などに限定され〔【J1:第30節 F東京 vs 川崎F プレビュー】 Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2006年11月10日)〕、レギュラー奪取には至らなかった。
2007年、日本代表から遠ざかりつつあった状況に危機感を抱き、出場機会を求め〔 東京中日スポーツ (2008年1月8日)〕ヴァンフォーレ甲府へ1年間の期限付き移籍〔 FC東京 (2007年1月9日)〕〔 ヴァンフォーレ甲府 (2007年1月9日)〕。中心選手との一角となり空中戦の強さを見せた。
2008年京都サンガF.C.へと期限付き移籍〔 FC東京 (2008年1月8日)〕〔 ヴァンフォーレ甲府 (2008年1月8日)〕〔 京都サンガF.C. (2008年1月8日)〕。レギュラーを確保したが、代表復帰は果たせなかった。京都では右サイドバック(SB)でも起用され、新たな武器としてロングスローを放ち好機を演出した〔 スポーツ報知 (2008年12月10日)〕。2009年からは京都へ完全移籍〔 FC東京 (2009年1月14日)〕〔増嶋竜也選手 完全移籍加入のお知らせ 京都サンガF.C. (2009年1月14日)〕。
2011年、地元千葉県でのプレーを望み〔 千葉日報 (2011年1月26日)〕柏レイソルへ完全移籍〔増嶋竜也選手 柏レイソルへ完全移籍のお知らせ 京都サンガF.C. (2011年1月6日)〕〔増嶋 竜也選手が移籍加入 柏レイソル (2011年1月6日)〕。開幕当初は右SBとして出場するも、その後はSB酒井宏樹の台頭やCB朴東赫の離脱により〔on the way 14 増嶋竜也 柏レイソル〕、CBとして出場機会が増えていった。最終的にリーグ戦では25試合に出場し、チームのJ1初優勝に貢献した。2012年も前年に続いてCBのレギュラーを確保し、キャプテンの大谷秀和からキャプテンマークを託されることもあった〔[柏]「キャプテンマークを巻くと、責任感が増しますよね」(増嶋選手) BLOGOLA (2012年10月26日)〕。2013年鈴木大輔の加入や橋本和の負傷もあり、序盤は左SBとして出場することが多かった。夏場以降、鈴木の台頭や自身の負傷離脱〔増嶋 竜也選手の負傷について 柏レイソル (2013年10月4日)〕もあったが、最終的にリーグ戦25試合に出場。最終ラインの何処に入っても遜色の無いプレーでチームを支えた。2014年は、シーズン半ばまで出場機会が得られなかったが、中盤戦以降はケガ人が出たチーム状況もあって先発出場の機会を増やし、公式戦20試合に出場。同年12月に両足関節遊離体除去手術に臨んだ〔増嶋 竜也選手の負傷について 柏レイソル (2014年12月10日)〕。2015年開幕に復帰を間に合わせたものの、1st第2節仙台戦で前十字靭帯損傷し長期離脱を強いられた〔増嶋竜也選手の負傷について 柏レイソル (2015年3月17日)〕。2016年開幕節で先発復帰。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「増嶋竜也」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tatsuya Masushima 」があります。




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