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増淵辰子 : ミニ英和和英辞書
増淵辰子[ますぶち たつこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぞう]
 (n) increase
: [ふち]
 【名詞】 1. deep pool 2. abyss 3. the depths 
: [たつ]
 【名詞】 1. fifth sign of Chinese zodiac (The Dragon, 7a.m.-9a.m., east-southeast, March) 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

増淵辰子 : ウィキペディア日本語版
増淵辰子[ますぶち たつこ]
増淵辰子(ますぶち たつこ、1904年明治37年)11月10日 - 1993年平成5年)1月3日)は、日本囲碁棋士東京出身、本因坊秀哉門下、日本棋院所属、八段。本名たつ。1953年に現役引退。女流棋士として初めての囲碁使節としてアメリカに渡り、その後もヨーロッパなど海外囲碁普及に努め、また女流碁界の発展に尽くした。門下に坂田栄男らがいる。
==経歴==
品川に生まれる。12歳頃に碁を覚え本因坊秀元に学び、後に本因坊秀哉門に入り小岸壮二に師事。1922年(大正11年)入段。若手の研究会六華会に参加。1925年二段。1930年三段。この頃に坂田栄男らを内弟子として育てた。1944年四段。1946年の日本棋院精鋭十人抜戦で活躍。1953年に引退、五段。1954年に囲碁使節としてアメリカに渡り、次いで1964年に北アメリカ、1965年には訪欧アマ女流使節団長としてヨーロッパ、1982年にアメリカと囲碁普及活動を行う。1954年六段。1980年、勲五等宝冠章受章。
1991年の女流囲碁まつりは、増淵の米寿を祝う会となり、七段を贈られる。1992年11月に世田谷玉川病院に入院、1993年死去、追贈八段。姉御肌で、棋士以外にも編集者やライターなどにも慕われた。生涯独身で、養女一人がいる。門下に塚越常康土屋半七、坂田栄男、白鳥澄子大窪一玄川本昇久保本登美子
受章等
*1977年 大倉賞

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「増淵辰子」の詳細全文を読む




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