|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 増 : [ぞう] (n) increase ・ 竜 : [りゅう] 【名詞】 1. (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi) ・ 義 : [ぎ] 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor
増渕 竜義(ますぶち たつよし、1988年5月3日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == === プロ入り前 === 小学4年生の時に、軟式少年野球チームで野手として野球を始めた。中学時代から投手として活躍し、高校進学に際しては浦和学院、春日部共栄など地元私学からの勧誘もある中、地元草加市から30km離れた公立の鷲宮高校に進学。埼玉新聞や各スポーツ紙によると、鷲宮高校を志願した理由は、「公立高校の方が埼玉らしい」「公立の高校に入って私立の強豪校を倒したい」と述べている。また私立高校の勧誘そのものに疑問を投げかけたこともあった。 鷲宮高では1年生の秋からエースとなり、2年生で早くも140km/hを超える速球を投げ込んで注目を集めた。3年生の2006年夏の全国高等学校野球選手権埼玉大会では、5回戦の対市立浦和高校戦で147km/hを計測し、15奪三振のノーヒットノーランを達成。決勝で強打の浦和学院を相手に力投したが、0対4で敗れ甲子園出場はならなかった。 サイドスロー気味のスリークォーターのフォームと、剛速球、埼玉の公立高出身という共通点から斎藤雅樹の再来ともいわれた。2006年の高校生ドラフト会議においては、東京ヤクルトスワローズと西武ライオンズから指名を受けた。抽選の結果、スワローズが交渉権を獲得。外れた西武は木村文和(埼玉栄高校)を指名した。木村と増渕は、県内で互いに意識していた存在で、ライバルとして名を挙げたこともある。 指名会見では「ヤクルト自体が好き」と喜びを表した。女手一つで育てた母は、ヤクルトの販売員として働いていた。増渕自身、インタビューでは母への感謝を口にしている。「運命を感じる」とも語っており、プロ入り前からヤクルトと縁のある選手である。また本来高校生が希望球団を口にすることは禁じられているが、ドラフト会議前の取材において、オフレコでスワローズ志望であることを明かしていた事が、指名後に報道されている。 高校時代は投球のほとんどがストレートでありながら、あまり打たれていなかった。球種は左打者用のシンカーと右打者用のスライダーという、外に逃げる球があった。しかし、それ程曲がりの鋭い球種がなく、内角を突ける球もないため、比較的一本調子になりがちな投球と、制球力が課題であった。 11月11日に推定契約金8000万、年俸800万円で仮契約し、スワローズへの入団が決まった。背番号は増渕の生年にちなんだとも言われる、63に決定。仮契約後に五十嵐亮太を目標にあげ、「直球で真っ向勝負」したいと語っている。 地元新聞を通して「ハンカチ世代の雑草魂」と埼玉ファンから祝福された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「増渕竜義」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|