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増田 英彦(ますだ ひでひこ、1970年2月9日 - )は、松竹芸能に所属する日本のお笑いタレント。 岡田圭右と組む漫才コンビ・ますだおかだのボケ担当。単独で出演する番組では「ますだおかだ増田」という名義も使用。 == 経歴 == 大阪府守口市の出身で、門真市ふじ幼稚園・守口市立梶小学校・守口市立梶中学校・大阪電気通信大学高等学校を卒業後に関西外国語大学短期大学部へ入学。その後に関西外国語大学外国語学部英米語学科の3年へ編入した。ちなみに、「ますだおかだ」での相方である岡田は、短期大学部時代のクラスメイトである。 関西外国語大学短期大学時代には、学友会の会長を務める。演劇部にも所属していたが演劇をすることはなく、キャンパス内でお笑いライブを開催。同級生とコンビ(コンビ名・どりあんず)を組んで漫才をしていた。ちなみに相方である岡田もそのお笑いライブに出演し、同級生とコンビ(コンビ名・ツインズ)を組んでショートコントをしていた。当時は増田も岡田もボケ担当。そのライブの模様は発売されているDVD「爆笑オンエアバトル~ますだおかだ~」の中に収録されている。学園祭で司会をしていた4年生の時に、松竹芸能からのスカウトを受けて、岡田を誘い松竹芸能タレント養成所へ通い始めた。しかし、短期大学部を卒業後に専門学校へ進学していた岡田が、芸能界入りに難色を示したことから直接のデビューには至らなかった。 大学卒業後の1992年に、広告代理店の大広へ入社。営業部員として、阪神タイガース・つるやオープンゴルフトーナメントなどの広告の仕事に携わったが9ヶ月で退社。クツワに勤務していた岡田を説得。岡田をクツワから退社させたうえで、岡田と共に再び松竹芸能タレント養成所の門を叩いた。 1993年に、岡田と「ますだおかだ」を結成して初舞台を踏む。松竹芸能タレント養成所での同期はオセロで、吉本興業では大阪NSC11期生とほぼ同期に当たる。 1994年には「ますだおかだ」として、大阪で、第15回ABCお笑い新人グランプリ~最優秀新人賞~・第24回NHK上方新人コンテスト~最優秀新人賞~・第29回上方漫才大賞~新人奨励賞~を獲得。東京でも、テレビ朝日「GAHAHAキング」で10週勝ち抜きチャンピオンになる。 1999年には「ますだおかだ」として、NHK「爆笑オンエアバトル」で番組史上初パーフェクト545キロバトルを出す。 2001年には「ますだおかだ」として、第36回上方漫才大賞~奨励賞~・第30回上方お笑い大賞~話題賞~を受賞。 2001年には「ますだおかだ」として、平成13年度咲くやこの花賞~大衆芸能部門~・第37回上方漫才大賞~大賞~』を受賞。そして東京へ進出してM-1グランプリで優勝したことをきっかけに、全国ネットの番組にも活躍の場を広げてる。 2004年には詩集「ますだおかだの漫才詩」を発売。 2007年には大阪天満繁昌亭や浅草東洋館に創作落語で出演。 2008年には「増田政夫」名義でCDデビュー。オリコン週間ランキング~演歌歌謡曲部門~第12位。 2009年頃からは、「ますだおかだ」としての活動を続けるかたわら、関西地方を中心に単独で情報番組の司会・レギュラーやラジオ番組のパーソナリティを務める機会が増加。のちに、自身が出演するラジオ番組で「40歳になるのを機に仕事のスタンスを変えた」と語っている。 2010年には著書「ますだ式ダジャレで覚える韓国語」を発売。ベストセラーとなり、アプリにもなっている。 2012年には藤山直美と高畑淳子の主演舞台「ええから加減」で、漫才コンビを演じる藤山直美と高畑淳子の漫才指導と監修をつとめる。この舞台で藤山直美と高畑淳子は第38回菊田一夫演劇大賞を受賞している。 2014年2月に大阪松竹座で上演された「道頓堀喜劇祭り」で、舞台俳優としてのデビューを果たした〔ますおか増田 舞台俳優デビュー 心配は「テレビ代役がウケたら…」 (『スポーツニッポン』2013年12月10日付記事)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「増田英彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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