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増田 敏(ますだ とし、1923年10月7日〔〕 - 没年不明)は、鹿児島県出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手、遊撃手。 == 来歴・人物 == 鹿児島商在学中は、1941年夏の甲子園の鹿児島大会で活躍し、決勝で延長13回の激闘の末鹿児島実に5-4でサヨナラ勝ち、県大会優勝を果たした〔サイトでは、鹿児島実卒業で準優勝となっているが、鹿児島商卒業で優勝の誤りである。〕(その後、本来なら開催されるはずの南九州大会や本大会が戦局の悪化により中止となった)。 1942年に南海軍へ入団。主力選手が次々と応召されていく中、内野のどこでも守れるユーティリティプレイヤーとしてチームを支えた。打撃は非力だが、守備には定評があった。打順は主に7~9番の下位を打っていた〔個人別 1リーグ時代のデータ集 日本プロ野球私的統計研究会(増田敏) 〕。 1943年シーズン中に応召され、戦死した(没年月日、死没場所は不明)。享年20~21。東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「増田敏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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