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増田次郎 : ミニ英和和英辞書
増田次郎[ますだ じろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぞう]
 (n) increase
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

増田次郎 : ウィキペディア日本語版
増田次郎[ますだ じろう]

増田 次郎(ますだ じろう、慶応4年2月26日1868年3月19日) - 1951年(昭和26年)1月14日)は、明治末期から大正昭和初期にかけて活動した日本実業家政治家
駿河国(現・静岡県)出身。後藤新平秘書官から衆議院議員となり、さらに実業界に転じて電気事業に参加。大同電力社長、日本発送電(日発)初代総裁、台湾電力(台電)社長などを務めた。
== 経歴 ==

=== 前半生 ===
増田次郎は慶応4年2月26日明治元年、新暦:1868年3月19日)、駿河国志太郡稲川村(現・静岡県藤枝市)に、増田儀右衛門の次男として生まれた〔『自叙伝』、1頁〕。生家は120あまりの収穫がある比較的裕福な農家で、父儀右衛門は戸長に選ばれる村の有力者であった〔『自叙伝』、3-4頁〕。
小学校を出た後、世継ぎであり体の丈夫な兄太郎に農業を継がせるので次郎は商人になるのがよい、という父の意向で、13歳のとき丁稚奉公に出され、六合村にあった親類の商家に預けられた〔『自叙伝』、4・12頁〕。しかし父が事業に失敗したので16歳のとき実家へ戻され、農作業に従事する〔『自叙伝』、18-20頁〕。父は再起を図るものの失敗続きで、次郎が20歳のとき伝来の家屋敷を手放さざるを得なくなった〔『自叙伝』、25頁〕。それでも父は次郎に東京で学問をするよう勧めるので、次郎は上京して東洋英和学校、次いで有得館に入り、語学を学んだ〔『自叙伝』、28-32頁〕。
東京には1年余り滞在したが、父儀右衛門が病気になったので急遽帰郷。看病に努めたが父は翌1890年(明治23年)11月に死去する〔『自叙伝』、33-34頁〕。兄が既に死去していたため家を継ぎ、家族とともに静岡市に転居してここで親類の男とともに印刷所を買い取って開業した〔『自叙伝』、37-41頁〕。県議会の議事録や警察関係の印刷を引き受けており、県庁や警察方面に知人ができて仕事が順調に進むようになったが、1892年(明治25年)12月、市内の大火に巻き込まれて印刷所が全焼してしまう〔。
印刷所を断念し静岡民友新聞の広告取りを始めたものの、印刷所時代の借金の返済に苦しみ、夜逃げを決意する〔『自叙伝』、42-46頁〕。印刷所の関係で顔なじみとなった県会議員に紹介してもらい、伊豆半島松崎町にあった新婚の妻の縁者が経営する小料理屋へと落ち延びた〔。小料理屋にて居候の身になり、買い出しや料理の手伝いをする傍ら、金がないので店の屋根裏に設けられていた賭場にも出入りし、賭場の手伝いもしたという〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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