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墨江 武禅(すみのえ ぶぜん、享保19年〈1734年〉 - 文化3年1月29日〈1806年3月18日〉)とは、江戸時代中期から後期にかけての大坂の浮世絵師。 == 来歴 == 月岡雪鼎の門人。姓は長田、名は道寛、または寛。通称は荘蔵。字は子全。朦朧(斎)、心月(居士)、武禅斎などと号す。また、下記の「唐美人押絵貼図屏風」の落款より、仲信とも名乗ったようだ〔狩野博幸 「プラハの近世絵画」(京都国立博物館編集・発行 『国際交流特別展覧会 プラハからの美のたより-里帰り日本美術-』 2002年1月、p.19)。〕。大坂の船町に住む船頭であったが、月岡雪鼎に絵を学んでこれを本業とし、天明(1781年 - 1789年)頃、肉筆美人画を描いた。また、宋元の古画を研究し、更に池大雅の画法も習得している。また彫金の毛彫りを得意とし、石膏で仮山水をつくることにも巧みだったという。天明元年(1781年)刊の『装剣奇賞』巻4に、「武禅」の項目に「画を以って名あり」と記され、彫金家としても絵師としても認められていた。生涯独身で、享年73。 作品は極めて少ないが、「月下縁先美人図」などは代表作に挙げられる。画風は師である雪鼎の描く美人によく似ている。「月下縁先美人図」に描かれた女性の髪型や風貌など、雪鼎の「蛍狩り図」の女性に酷似している。著作に文化5年(1808年)刊行の盆石書『占景盤』一冊、地誌『鉢山図会』二巻などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「墨江武禅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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