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士禍(しか、サファ、사화)は、李氏朝鮮時代における、士(官僚)に対する粛清(弾圧)の事を差す。当初は、勲旧派や外戚が新興勢力の士林派に対して行ったものであるが、勲旧派や民衆なども巻き添えになったり、後には士林派同士による士禍も起こっている。 四大士禍と言われる大きな士禍は以下である。 *燕山君時代、1498年の戊午士禍。金宗直の書いた世祖の王位簒奪批判の書面を理由に、勲旧派が士林派を大量粛清した事件。 *燕山君時代、1504年の甲子士禍。燕山君の生母・尹氏毒殺の件に絡んで士林派と勲旧派合わせて約50人を一斉処刑した事件。 *中宗時代、1519年の己卯士禍。趙光祖の性急な改革に対する反動による趙光祖一派の粛清事件。 *明宗時代、1545年の乙巳士禍。明宗の外戚尹元衡(文定王后・尹氏の弟)らによる反対勢力の粛清事件。 それ以外にも *燕山君時代、1506年の丙寅士禍。燕山君の背徳的かつ暴虐的な行為を痛烈に批判する功臣、および民衆らを燕山君自身の手で大量粛清・大量処刑した事件。 *景宗時代、1721年 - 1722年の辛壬士禍(辛丑・壬寅の獄、:ko:신임옥사)。景宗暗殺嫌疑による少論の老論粛清事件。 *英祖時代、1762年の壬午士禍(壬午の獄、:ko:임오옥)。羅景彦の死刑および思悼世子(荘献世子)の餓死事件。 などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「士禍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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