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士鞅[しおう] 士 鞅(しおう、生没年不詳)は、中国春秋時代の晋の政治家。姓は祁、氏は士、もしくは封地から范、諱は鞅、字は叔、謚は献。士匄(范宣子)の三男。范叔、范献子と呼ばれる。 == 生涯 ==
=== 亡命 === 士鞅はその字(叔)が示すとおり、本来なら三男として嫡子とは縁の無い立場となるはずであったが、上の兄二人は事跡が史書に記されていないことから夭折した可能性が高く、その事で士匄の嫡男の座に就いたと推測される。 紀元前559年に晋軍が斉や鄭等の同盟国と秦に攻め込んだ際に、次卿・中軍の佐であった士匄のもとで従軍したが、敗退に追い込まれてしまう。だが、これに不満を持つ公族大夫の欒鍼と共に殿軍として秦軍に攻め込むが、逆に返り討ちに会い、欒鍼は戦死し、士鞅だけが生還した。だが、欒鍼の死に激怒した兄の下軍の将欒黶(欒桓子)が、責任は士鞅にあるとし、追放しなければ士鞅を誅殺すると上司の士匄を脅したため、士鞅はやむなく秦へと亡命するはめに陥ってしまう。 だが、士鞅は秦公(景公)の働きかけで程なく晋への帰還がかなうが、この件で欒氏に対し深い恨みを抱くようになる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「士鞅」の詳細全文を読む
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