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壬生基修 : ミニ英和和英辞書
壬生基修[みぶ もとおさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じん, みずのえ]
 【名詞】 1. 9th in rank 2. ninth sign of the Chinese calendar
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
: [き, もとい]
 【名詞】 1. basis 

壬生基修 : ウィキペディア日本語版
壬生基修[みぶ もとおさ]

壬生 基修(みぶ もとおさ〔基修を「もとなが」と記すものもあるが、「もとおさ」が正しい。〕、天保6年3月7日1835年4月4日) - 明治39年(1906年3月5日)は、幕末から明治にかけての公卿政治家庭田重基の三男で、壬生道吉の養子。室は重子(四辻公績の四女)。
== 略歴 ==

* 天保6年3月7日1835年4月4日) - 京都で生まれる。
* 嘉永2年12月1850年) - 昇殿する。
* 安政4年(1857年) - 修理権大夫となる。
* 文久元年(1861年) - 従四位となる。
* 文久3年(1863年) - 公武合体派の策略によって長州藩に下向。いわゆる七卿の一人となる。後に、太宰府天満宮延寿王院に移される。
* 慶応3年12月 - 王政復古後に帰京。
* 慶応4年1月3日(1868年1月27日) - 参与となる。
* 慶応4年2月20日(1868年3月13日) - 参与を辞する。
* 明治元年(1868年) - 軍防事務局親兵掛。三等陸将に補任。
* 明治元年6月(1868年) - 会津戦争に越後口総督仁和寺宮の参謀として出征。平定後に賞典禄200石を賜わる。
* 明治2年1月1869年) - 右近衛権少将、兵学御用掛
* 明治2年2月8日(1869年3月20日) - 越後府知事となる。
* 明治2年7月27日(1869年9月3日) - 越後府が水原県となり、水原県知事となる。
* 明治2年10月3日(1869年11月6日) - 水原県知事を辞し、東京府知事および東京府貫属となる。
* 明治4年7月23日1871年9月7日) - 東京府知事を辞する。
* 1875年(明治8年)7月2日 - 元老院議官となる。
* 1877年(明治10年)1月15日 - 元老院議官を辞する。
* 1880年(明治13年) - 勲三等旭日中綬章
* 1884年(明治17年)7月8日 - 子爵となる。
* 1890年(明治23年)
 *7月 - 貴族院子爵議員となる。
 *10月20日 - 麝香間祗候となる〔『官報』第2195号、明治23年10月22日。〕。
* 1891年(明治24年)4月23日 - 陞爵し伯爵となり、正二位となる。
* 1892年(明治25年)5月 - 貴族院子爵議員を辞する。
* 1895年(明治28年)3月15日 - 平安神宮初代宮司となる。
* 1895年(明治28年)4月17日 - 大日本武徳会副会長となる。
* 1897年(明治30年)7月 - 貴族院伯爵議員となる。
* 1904年(明治37年)7月 - 貴族院伯爵議員を辞する。
* 1906年(明治39年)3月5日 - 京都にて逝去。墓標は二尊院に所在。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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