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壬生浪士組 : ミニ英和和英辞書
壬生浪士組[みぶろうし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じん, みずのえ]
 【名詞】 1. 9th in rank 2. ninth sign of the Chinese calendar
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 
: [くみ]
 【名詞】 1. class 2. group 3. team 4. set 

壬生浪士組 ( リダイレクト:壬生浪士 ) : ウィキペディア日本語版
壬生浪士[みぶろうし]
壬生浪士(みぶろうし)あるいは精忠浪士(せいちゅうろうし)は、新選組の前身集団。
文久3年(1863年清河八郎が京へ率いた浪士組を壬生にある、新徳寺に代表を集め、尊皇攘夷を目的とする反幕勢力に変化させようとの策略を演説した。
これに同意した者は新徴組として江戸へ帰る事となる。これに同意しなかった近藤勇芹沢鴨らはその場に残り、新選組を結成するに至る。構成内容は以下参照。新選組となる以前の壬生浪士たちは身なりの貧しさから、「みぼろ」(壬生浪=みぶろ・みぶろう)と一部の京の人たちに揶揄されていた。「壬生の狼」とも呼ばれた。また、女性隊士がいたという説もある。
== 初期構成員 ==
創設メンバー24名。日付は死亡年月日。および死因。
芹沢一派
*芹沢鴨文久3年(1863年)9月16日あるいは18日、土方らに奇襲を受け、討死。粛清。
*新見錦:文久3年(1863年)月日不明、切腹。本名新家粂太郎で、同年9月15日長州にて死亡したという説もあり。
*田中伊織:文久3年(1863年)9月13日、暗殺される。
*平山五郎:芹沢と共に粛清された。
*平間重助:芹沢暗殺後、逐電。その後は不明。
*野口健司:文久3年(1863年)12月27日、切腹。
*佐伯又三郎:文久3年(1863年)8月10日、長州の間者として芹沢に殺害される。(諸説あり)
試衛館一派(近藤一派)
*近藤勇慶応4年(1868年)4月25日、官軍によって斬首。
*土方歳三明治2年(1869年)5月11日、箱館戦争中に討死。
*沖田総司:慶応4年(1868年)5月30日、肺結核のため死去。
*山南敬助元治2年(1865年)2月23日、脱走のため、屯所で切腹。
*永倉新八大正4年(1915年)1月5日、天寿を全うし、死去。
*原田左之助:慶応4年(1868年)5月17日、上野戦争の際に重傷を負い、死去。
*井上源三郎:慶応4年(1868年)1月4日、淀千両松の戦いで討死。
*藤堂平助:慶応3年(1867年)11月18日、油小路で近藤らに襲撃を受け、討死。
*斎藤一:大正4年(1915年)9月28日胃潰瘍のため死去。
*阿比類鋭三郎:文久3年(1863年)4月6日、病死。もしくは殺害。
殿内・家里・根岸一派
*殿内義雄:文久3年(1863年)3月25日に四条大橋で近藤らに暗殺される。
*家里次郎:文久3年(1863年)4月24日に将軍警護の旅先の大阪で、芹沢、近藤一派らに、切腹を強要され切腹。
*根岸友山:文久3年(1863年)4月下旬、伊勢参りに行くという口実で帰東。明治23年(1890年)12月3日、死去。
*遠藤丈庵:根岸と共に帰東。
*清水吾一:根岸と共に帰東。明治5年(1872年)5月27日、死去。
*鈴木長蔵:根岸と共に帰東。
*神代仁之助:文久3年(1863年)4月下旬に脱走。
*粕谷新五郎:文久3年(1863年)に脱隊。後に天狗党の乱に参加し、元治元年(1864年)6月6日に自害。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「壬生浪士」の詳細全文を読む




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