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園 光子(その みつこ、慶長7年(1602年)-明暦2年2月11日(1656年3月6日))は、後水尾天皇の後宮の一人。後光明天皇の生母。院号は壬生院(みぶいん)。父は権大納言園基任(薨去後左大臣追贈)。園家の本姓は藤原氏であるので、藤原光子(ふじわら の みつこ)と記されることもあり。初名は国子、継子。 後水尾天皇の後宮に入り、京極局と称されていた。寛永10年(1633年)に後光明天皇を出産した。その後も守澄法親王、元昌女王、宗澄女王、桂宮などを出産。後光明天皇治世の承応3年(1654年)8月18日に准三宮に叙せられたが、同年中に天皇が崩御している。これを受けて光子は10月26日に落飾している。また後継の後西天皇から壬生院の院号を宣下された。薨去後には京都泉涌寺に葬られた。墓は泉山月輪陵にある。 国母となった彼女の存在により出身家の園家の地位は大きく上がり、光子の父である基任には正保2年(1645年)に左大臣が追贈されている。なお光子の兄である園基音の娘園国子も後水尾天皇の後宮に入り、霊元天皇を出産している。国母を二人も輩出した園家はその後大いに繁栄していく。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「園光子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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