|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 壱 : [いち] (n) one (used in legal documents) ・ 丸 : [まる] 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names
壱岐丸(いきまる)は、山陽鉄道が1904年に発注し1905年に竣工した貨客船である。 関釜連絡船として就航中、鉄道省(日本国有鉄道の前身)に所有が移り、1922年に青函連絡船として転属、就航。1923年に稚泊連絡船として臨時に就航していたが、1924年より正式に転属。1932年に大阪商船に売却され、樺太丸と改名。琉球航路、樺太航路を経て、1945年から1947年まで青函航路復帰。1951年室蘭にて解体。僚船に対馬丸がある。 本船で使用されていた号鐘は解体後も保存され、1967年に鉄道記念物に指定された。当時は交通博物館で展示されていたが、同館の閉鎖後は鉄道博物館に移管され、同館のヒストリーゾーンにて展示されている。 ==沿革== * 1905年(明治38年) - 三菱重工業長崎造船所にて竣工。 * 1905年11月 - 関釜航路開設にあたり、山陽汽船の船舶として関釜連絡船第一号として就航。 * 1906年12月1日 - 鉄道国有法によりオーナーの山陽鉄道が買収・国有化され、壱岐丸も国有鉄道の所有となる。 * 1922年(大正11年)10月 - 青函航路に青函連絡船として転属・就航。 * 1923年(大正12年)5月 - 稚泊航路(稚内〜大泊(現コルサコフ))開設にあたり、対馬丸の代船として臨時に稚泊連絡船として就航。 * 1924年(大正13年)7月 - 正式に稚泊航路に配属となり、神戸製鋼所播磨造船所で砕氷船への改造工事を行い就航。 * 1926年(大正15年) - 1925年の対馬丸の全損遭難事故の教訓を受け、商船として日本で初めて音響測深儀(ファゾメーター)と回転翼式船底測程儀、マルコーニ製無線電話、コルスター式無線方位測程儀を装備等の最新設備を導入。 * 1931年(昭和6年)2月2日 - 稚泊航路で大寒波のため、通常8時間の航路に89時間を要するという大難航となり、船体を大きく損傷する。その後修理のため5月に函館に回航され係船された。 * 1932年(昭和7年) - 大阪商船に売却され、改装修理後、琉球航路に就航。 * 1937年(昭和12年) - 北日本汽船(後1943年に大阪商船と合併)に売却され、稚内〜本斗(現ネベリスク)間の樺太航路に就航。 * 1939年(昭和14年)12月12日 - 稚内沖で遭難したソ連の汽船インディギルカの乗客400名を救助。 * 1945年(昭和20年)7月25日 - 国有鉄道に傭船され、再び青函連絡船に就航。 * 1947年(昭和22年)9月 - 傭船終了 * 1951年(昭和26年) - 低性能船舶買入法により、室蘭にて解体。46年の生涯を閉じる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「壱岐丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|