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壱志濃王 : ミニ英和和英辞書
壱志濃王[いちしのおう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いち]
 (n) one (used in legal documents)
: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 
: [のう]
  1. (pref) dark 2. thick
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

壱志濃王 : ウィキペディア日本語版
壱志濃王[いちしのおう]
壱志濃王(いちしのおう、天平5年(733年) - 延暦24年11月12日805年12月6日))は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての皇族天智天皇の孫である湯原王の第二子。官位正三位大納言従二位
== 経歴 ==
天平神護2年(766年)無位から従五位下に叙位。
光仁天皇即位後の朝廷において、天皇の甥として重きを成し、朝廷の重大な祭祀の使者には必ずと言っていいほど任じられた。宝亀2年11月(772年1月)4階昇進して従四位下に叙せられ、宝亀9年(778年縫殿頭、宝亀10年(779年右大舎人頭、宝亀11年(780年)左大舎人頭を歴任した。
従兄弟にあたる桓武天皇とは酒飲み仲間であったと伝えられ、天応元年(781年)の桓武天皇即位後まもなく従四位上に叙され、天応2年(782年治部卿、延暦5年(786年正四位下への昇叙を経て、延暦6年(787年参議に任ぜられ公卿に列した。延暦12年(793年賀茂大神〔『日本後紀』延暦12年2月2日条〕と伊勢神宮〔『日本後紀』延暦12年3月10日条〕へ平安京遷都を告げる使者に任じられ、同年従三位に叙せられた。その後も延暦13年(794年)中納言、延暦17年(798年)には正三位大納言弾正尹を兼ねる)に昇進し、太政官において右大臣神王に次ぐ位置を占めた。延暦24年(805年)11月12日薨去享年73。最終官位は大納言正三位兼弾正尹。桓武天皇は壱志濃王の死を悲しんで従二位位階贈位した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「壱志濃王」の詳細全文を読む




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