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変成男子(へんじょうなんし)は、転女成仏(てんにょじょうぶつ)・女人変成(にょにんへんじょう)とも称され、古来、女子(女性)は成仏することか非常に難しいとされ、いったん男子(男性)に成ることで、成仏することができるようになるとした思想。法華経提婆達多品で、8歳の竜女が成仏する場面を由来とする。「変成男子」と「転女成仏」は対句として用いられる。 == 概要 == 初期の経典にはこのような男尊女卑(とも受け取られかねない思想)は見られない。〔例えばSaññoga Suttaで、「女性は女性として生きるのは煩悩、男性は男性として生きるのは煩悩」という教えが見える。〕しかし釈尊滅後、女性は成仏するのが難しいという思想が広まった。例えば、大乗仏教に影響を与えた世親の『無量寿経優婆提舎願生偈』には「大乗善根界は等しく譏嫌の名なく、女人および根缺と二乗の種は生ぜず」(国土荘厳第一六大義門功徳成就の偈)と記しているが、これどう解するかが問題となった。曇鸞はこれを女性が成仏できないから成仏が出来ないのではなく、浄土では一味平等であり女性という存在ではなくなるからであると説いている。大乗仏教の世界では女性蔑視の思想を否定しようとして変成男子の思想を示したとも考えられる。 日本の初期仏教の逸話で登場する善信尼の存在のように仏教における女性参加が否認されていた証拠はない。むしろ、奈良・平安時代になって神道などにもあった女人禁制や出産・生理に伴う流血が穢れと結びつき、女人五障説・女人垢穢説・転女成仏説が受容されていったと考えられている。また、女人不成仏に関する仏典や差別的文言が強調されたのが、9世紀の文章経国理念が高揚した時期と重なっており、そうした記述を遺した先駆的な階層が僧侶よりも文章経国・儒仏一致を主唱して儒教知識を売り物にしたいわゆる「文人貴族」に多かった〔女人不成仏に関して取り上げられた文書として菅原道真「為式部大輔藤原朝臣家室命婦逆修功徳願文」(『菅家文章』)・慶滋保胤「為二品長公主四十九日願文」(『本朝文粋』)・大江匡房『江都督納言願文集』所収の諸願文などが挙げられる(小原、2007年、P2-5)。〕という指摘もされている〔小原仁「転女成仏説の受容について」(『中世貴族社会と仏教』(吉川弘文館、2007年) ISBN 978-4-642-02460-0 (原論文発表は1990年))〕。9世紀後半の880年(元慶4年)に称徳天皇ゆかりの西隆尼寺が西大寺の支配下に入った際に尼たちが仏事に関わることが禁じられ、西大寺の男僧の洗濯を行うように命じられているのはその象徴的な事件である(『日本三代実録』元慶4年5月19日条)。 しかも貴族や僧侶が記した女人不成仏に関する文書には『法華経』堤婆達多品や『転女成仏経』などを引用をしても、それらの経文に対する合理的・経論的な根拠・説明が提示されないなど、実際には内在的な理由づけのない観念以上のものではなく、9世紀を遠く下った院政期においても貴族の女性が家中の仏教祭祀において主導的な役割を果たしている姿が確認され、当の貴族社会においても女人不成仏の思想が実際の仏教信仰のあり方に影響を与えておらず、ましてや一般的ではなかったことが知ることが可能である〔。 当然、こうした流れに批判的な人々も多く、最澄は『法華秀句』において女性が成仏できないとする考えを否認し(ただし、比叡山を女人禁制にしたのは最澄自身である)、鎌倉時代には法然・親鸞・道元・日蓮・叡尊らはそれぞれの立場で批判をしているが、彼らが女人救済論は一方において「女人の罪業」の主張を独り歩きさせてしまう側面も有していた。実際、女性の罪業の深さを説く血盆経信仰が民衆の間で高まったのは江戸時代のこととされている。 明治維新後儒教的な家父長制が旧武士階層のみならず一般の農商家にも拡大されると文字通り「女人は成仏できない」という儒教的家父長制による女性蔑視の正当性を証明する根拠として法華系諸宗派を初めとする日本仏教全体で扱われるようになった。日蓮正宗のようにこれ以降国粋主義の高まりも加わって尼僧を廃止した例もある。 一説には女性が髪をおろし出家の姿をすることといわれる。また、特に1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦後男女平等を謳う日本国憲法が発布され進駐軍の意向で儒教的な男尊女卑の考えが否定されると男子に成ることで成仏できるのではなく、成仏したことを男子の姿で表したといったように解釈が変更された。 なお、この記述が変成男子で成仏したか、女人身そのままの成仏か、あるいは竜を六道や十界の観点から天部に位置する竜神と見るか、それとも人間より劣る畜生と見るかなどの議論がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「変成男子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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