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夏 奇峯(か きほう)は中華民国の政治家・外交官・ジャーナリスト。北京政府、国民政府で外交事務に携わる。後に、中華民国維新政府、南京国民政府(汪兆銘政権)の要人となった。旧名は雲。 == 事跡 == === 民国初期の活動 === 1911年(宣統3年)、蘇州の江蘇高等学堂に入学する。1914年(民国3年)、卒業した。1916年(民国5年)、勤工倹学に参加してフランスに留学し、1919年(民国8年)までフランスで通訳業に従事している。〔東亜問題調査会編(1941)、32頁。〕〔''Who's Who in China 5th ed''., p.84.〕〔徐主編(2007)、1137頁。〕 帰国後の1919年に「イースタン・タイムス」で労働・外交問題の編輯主任となり、また、帰国労働者のための組織の指導者ともなっている。〔東亜問題調査会編(1941)、32頁と''Who's Who in China 5th ed''., p.84.による。徐主編(2007)、1137頁は、『上海時報』で記者・特派員になったとする。〕1921年(民国10年)、欧州に再び向かい、パリやスイスで「イースタン・タイムス」の通信員(特派員)をつとめた。また、1923年(民国12年)から1928年(民国17年)まで、国際連盟中国代表団の非公式宣伝員も担った。1923年、ジュネーヴの国際連盟事務局事務員〔徐主編(2007)、1137頁による。東亜問題調査会編(1941)、32頁は「国際連盟情報部員」とする。〕となっている。1928年に帰国し、上海で『革命日報』の記者となった。1932年(民国21年)から1934年(民国23年)まで、国民政府外交部条約委員会委員をつとめている。〔〔〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夏奇峯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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