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パラリンピック()は、国際パラリンピック委員会(、略称:IPC)が主催する主に肢体不自由の身体障害者(視覚障害を含む)を対象とした競技大会の中で世界最高峰の障害者スポーツ大会。オリンピックと同じ年に同じ場所で開催される。2004年のアテネ大会から夏季オリンピックと共同の開催組織委員会が運営する。 == 歴史 == 20世紀初頭から、散発的な障害者スポーツの大会は記録されているが、当大会の起源とされているのは、1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。これは、戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして「手術よりスポーツを」の理念で始められたものである。 ストーク・マンデビル病院には、第二次世界大戦で脊髄を損傷した軍人のリハビリのための科が専門にあり、ドイツから亡命したユダヤ系医師ルートヴィヒ・グットマンの提唱により、この日、車椅子の入院患者男子14人、女子2人によるアーチェリー競技会が行われた。この競技会は当初、純然たる入院患者のみの競技大会であったが、毎年開催され続け、1952年には国際大会となり、第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された(参加国はイギリスとオランダの2カ国)。 1960年には、グットマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催されたローマで、第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、第1回パラリンピックと呼ばれている。 第2回大会は、1964年にこの年の夏季オリンピックが開催された東京で、第13回国際ストーク・マンデビル競技大会が行われた。大会は2部構成で、第1部が国際ストーク・マンデビル競技大会、第2部は全ての身体障害を対象にした日本人選手だけの国内大会として行われた。現在、国際的には第1部のみがパラリンピック東京大会とされているが、日本国内では第2部の国内大会を合わせて呼ばれることがある。 当大会をオリンピック開催都市と同一都市で行う方式は、東京大会後は定着せずいったん中断することとなり〔この大会で実現した「全ての身体障害者の大会」も定着せず、この後も国際大会は車椅子競技者のための国際ストーク・マンデビル競技大会のみが行われた。〕、1972年のハイデルベルク大会で復活する。 1976年、国際ストーク・マンデビル競技連盟と国際身体障害者スポーツ機構との初の共催でトロント大会が開催され、同年、第1回冬季大会、エーンシェルドスピーク大会も開催された。 1984年のニューヨーク・アイレスベリー大会は当初アメリカの2都市での開催予定であったが諸事情により2国開催となった。 1988年、ソウル大会より正式名称が「パラリンピック」となった。また、IOCが当大会に直接関わる初めての大会ともなり、この大会からは再び夏季オリンピックと夏季パラリンピックの同一開催地が復活した。なお、冬季大会が冬季オリンピックと同一都市で開催されるようになるのは1992年のアルベールビル冬季大会からである。 1989年には国際パラリンピック委員会(IPC)が設立され、これ以後、継続した大会運営が行われるようになった。IPC本部は、ドイツのボンに置かれている。 1998年の長野パラリンピックにおいてクロスカントリースキー種目だけだが初めて知的障害者の参加が認められ、その後の種目採用の拡大が期待された。 2000年のシドニーオリンピック時にIOCとIPCとの間で正式に協定が結ばれ、オリンピックに続いてパラリンピックを行うことと、IPCからのIOC委員を選出すること。これらのことが両者間で約束され、オリンピック開催都市でのパラリンピック開催は正式に義務化された。 一方で長野大会で参加を認められた知的障害者について夏季大会でも数種目を採用されたが、その内のバスケットボールの試合でスペインチームが複数の健常者を紛れこませて金メダルを攫う不正行為が発覚した。これにより金メダルの剥奪だけでなく知的障害者参加の全ての種目が追放され、再び知的障害者はパラリンピックへの道を閉ざされることとなった。 2001年にはIPCとIOCは、スイスのローザンヌで合意文書に調印し、パラリンピックとオリンピックの連携を強化した。2008年夏季大会、2010年冬季大会からIOCはパラリンピックについて運営・経済両面においてIPCを支援。また、パラリンピックの構成や保護を強化するとともに、パラリンピック競技大会の組織委員会はオリンピックの組織委員会に統合されることになった。 2012年のロンドンオリンピック時のパラリンピックでは知的障害者に閉ざされていた門戸が12年振りに再び開かれ陸上競技と水泳、卓球の3競技が実施された。しかし次ぎの冬季大会のソチパラリンピックに知的障害者の参加する競技の採用はなかった。 なお、パラリンピックはオリンピックの直後に同じ場所で開催するというIPC(国際パラリンピック委員会)の戦略が奏功し、格段にマスコミに取り上げられる率が高く、数ある「障害者スポーツ大会」の中で、現在、最も知名度が高くなり商業的にも成功をおさめつつある。しかし障害者スポーツの競技大会は、聴覚障害者のためのデフリンピックや、知的障害者のためのスペシャルオリンピックスなど各障害ごとに別々の理念と大会と歴史が存在している。またパラリンピックは開始当初から車椅子使用者のために実施されてきた大会であり、障害者スポーツの全てではないことには注意が必要である。 日本では、ながらく厚生労働省所管となっていたが文部科学省に移管され、オリンピックとの一元化が図られることとなった(「福祉」から「スポーツ」へ節参照)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「パラリンピック」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Paralympic Games 」があります。 スポンサード リンク
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