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『外交五十年』(がいこうごじゅうねん)とは日本の外交官、政治家であった幣原喜重郎による回顧録である。 == 概要 == 1872年に生まれた幣原は東京帝国大学(現 東京大学)を卒業後に外交官となり、幣原外交と呼ばれる外交政策を展開している。第二次世界大戦後の1950年から本書『外交五十年』は『読売新聞』で連載され、後に単行本として刊行される。近代日本の外交史における歴史的証言が多く盛り込まれているだけではなく、近代日本の協調外交を展開した幣原による外交思想を論じた著作でもある。 幣原は外交の目標とは国際的な共存共栄にあり、相手を強制することや道理を誤魔化すことは誤りである。これに関連して幣原は外交の根本的な原理として政府が公然と行った条約は政府の交代にかかわらず継続しなければならない神聖性を持つ。したがってこの自己の意志に反する条約を締結したという主張は許されてはならない。もし条約の神聖性が遵守されなければ国際社会の平和を維持し、安定させることは不可能であると幣原は考えていた。 さらに幣原は対中外交についての原則を論じている。その原則とは列強諸国が中国に内政干渉してはならないという立場であり、これは中国の統治能力が国民性として欠けると判断することは誤りであるという認識に基づいている。また中国と日本の共存関係を構築するために日本の対中外交はワシントン会議の当事国との協調に基づくことの重要性も指摘する。幣原は世界の潮流が国際的闘争から国際的協力へと移行しつつあると捉え、軍事力よりも経済力を高めるべきだと考えていた。 回顧録として本書は幣原が駐米大使館であった頃からワシントン会議での軍縮交渉、また第二次奉直戦争での外交政策、柳条湖事件、満州事変そして戦後の東京裁判などの外交・政治事件が体験談として証言されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「外交五十年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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