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外山算節 : ミニ英和和英辞書
外山算節[とやま さんせつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そと, ほか, げ, がい]
 【名詞】 1. other place 2. the rest 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [せつ, ぶし]
  1. (n-suf) tune 2. tone 3. knot 4. knob 5. point

外山算節 : ウィキペディア日本語版
外山算節[とやま さんせつ]
外山算節(とやま さんせつ、生没年不詳)は、文政年間頃に活躍した囲碁棋士京都の人で、幼名喜太郎、本因坊元丈門下、六段。算砂200回忌追善法会席上での本因坊丈和との対局が著名で、気合いのいい碁と言われる。隠居後は正阿弥または無阿弥と号した。
若い頃に江戸で修行し、本因坊元丈には先相先の手合、五段に進み、京都に戻る。1822年(文政5年)京都寂光寺にて算砂法印200回忌追善法会が行われ、元丈跡目で弟弟子でもある本因坊丈和と算節が対局した(算節先番)。記念碁ではあるが、この碁は四日に渉って打継がれ、算節は119手目を打とうとしたところで卒倒して倒れた。立会人の服部因淑が助け起こして1手を打ったが、それ以上は進められずに打ち掛けとなった。この時算節は「予に敗兆ありとせば断固死を決して打ち継ぐべし」と述べたが、因淑は「勝敗未だ判じ難き」と答えて、打ち掛けとしたという。後に人に問われて、算節は黒の3目勝ちと答え、丈和は1目と答えたという。
京都で多くの弟子を育て、後に円山正阿彌という料理屋を買い取って隠居した。丈和は「(山本)源吉、(井上)因砂、(林)元美、算節等の技は、伯仲の間にあるも、気味合に至りては算節を長とすべし」と評している。1829年(文政12年)に弟子の川北耕之助らによる追善碁会がなされた。著書に「置碁必勝」がある。
1792年(寛政4年)頃に安井知得仙知との互先、1802年(享和2年)に京都で四宮米蔵との米蔵二子、先の棋譜などが残されている。
==参考文献==

*安藤如意、渡辺英夫『坐隠談叢』新樹社 1955年
*矢田直己『秘譜発掘』誠文堂新光社 2004年

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「外山算節」の詳細全文を読む




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