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外藩蒙古(がいはんもうこ、 転写:tulergi goloi monggo)は、清朝に臣従したモンゴル人のうち、モンゴル草原の一角において固有の部族組織を持ち、ボルジギン氏・非ボルジギン氏の子孫のモンゴル人貴族の統治を受ける諸部族である。皇帝に直属する八旗蒙古および内属蒙古(チャハル部とトゥメト部の2部)を例外とする、清朝治下のモンゴル全諸侯、全部族を包括する概念である。 トゥルファン盆地、タリム盆地のオアシス都市群からなる「回部」、チベットの西南部の2分の1程を占める「西蔵部」などともに「藩部」を構成した。 == ダイチン国(清朝)のモンゴル支配体制 == ダイチン国(清朝)支配下のモンゴル人は、皇帝に直属する八旗蒙古・内属蒙古と、世襲で草原の領地と牧民を統治するモンゴル諸侯たち(外藩蒙古)の3種類に区分された。 「八旗蒙古」は、古くからアイシンギョロ家に臣従し、満洲人たちとほぼ同等の待遇を受け、官僚として王朝に仕えた人々。 「内属蒙古」は、首長家が取り潰されて清朝皇帝直属となった部族で、モンゴル草原の一角において固有の部族組織を維持しつつ、皇帝の直属下に置かれた。チンギス・ハン一族の旧宗家の領民だったチャハル部と、準宗家のアルタン・ハン一族の旧領民の帰化城トゥメト部とがある。 清朝に臣従したのち、清朝から牧地を指定され、世襲で領主・貴族としての地位をうけたすべての諸功が外藩蒙古に分類される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「外藩蒙古」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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