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多久 安順(たく やすとし、永禄9年(1566年) - 寛永18年(1641年))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。 ==概要== 肥前龍造寺氏の一門である龍造寺四家の一つ後多久氏の祖。龍造寺隆信の末弟の龍造寺長信(水ヶ江龍造寺家)の嫡男。生母は小田氏。初名は龍造寺家久。鍋島直茂の次女・千鶴を嫁に迎えた。初代多久邑主となり、多久長門安順と名乗る。のちに養子の多久茂辰が継いだ。他の養女として伊勢菊(神代常利室)がいる。 文禄・慶長の役に参加、その引き揚げの時、朝鮮から同行した陶工の李参平らを多久で預かり、肥前磁器(伊万里焼)の源流を作った。関ヶ原の戦いでは、主家に従い西軍に属しながら、徳川家康に大量の米を送った。慶長12年(1607年)に龍造寺高房が死去し、龍造寺氏本家が断絶すると、それを引き継いだ鍋島氏に重用され、親族と同等の待遇を得、佐賀藩請役を務めた。 寛永11年(1634年)、高房の子伯庵が龍造寺季明と名乗り、徳川家光に佐賀藩領は龍造寺氏のものであると主張した時、安順が出府した。また、庶子である季明(伯庵)が継ぐのであれば自分の方が正統であると言いくるめ、幕府に鍋島氏の支配の正当性を主張した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多久安順」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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