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多久 潤一朗(たく じゅんいちろう、1981年3月31日 - )は日本のフルート奏者、作曲家。 無数のオリジナル奏法と自由な発想により従来のコンサートのイメージを一新させるパフォーマンスを行う。 次世代型フルートトリオ『MAGNUMTRIO』のリーダーとしては国内は元よりイギリス、カナダ、韓国、アメリカその他国外の音楽祭からも出演要請を多数受け、各地で招待公演を行っている。 自作自演のスタイルを活動の軸とし、作曲、台本、演出、DTM打ち込み、画像、映像処理など何でもこなす。 演奏家としてはクラシック音楽を軸に、オーケストラ、吹奏楽、現代音楽やCM、TVなどのスタジオワークなどが多いが、たまにジャズ、ロック業界にも顔を出す。 埼玉県立伊奈学園総合高等学校、東京藝術大学器楽科卒業。フルートを木ノ脇道元、金昌国、佐久間由美子、竹澤栄祐に師事。次世代型フルートアンサンブルマグナムトリオ、現代音楽アンサンブルEnsemble Bois、Ensemble contemporary α、木ノ脇道元主宰のフルートカルテットNOZZLES、ジャズフルーティスト坂上領、ピアニスト阿部篤志らとのトレス・ソプロス、斎藤和志とのデュオマゼルナキケンメンバー。 フルート工房三響、東邦音楽学校講師。日本クラシック音楽コンクールフルート部門全国大会優勝。 作曲は独学による。これまでに民族楽器オーケストラのための『地球管弦楽』、フルートコンベンションOP曲『to the sea』、新国立美術館オルセー美術館展テーマ、CM曲『アイリスウェイブスII』始め作曲多数。 フルート独奏曲『虹』は日本木管コンクールの選択課題曲になっている。 TV、CM音楽などのスタジオワークも数多く行っており、映画「のだめカンタービレ」では首席フルートを担当、後日 日本武道館で行われたコンサートではフルート奏者兼ラプソディー・イン・ブルーのピアニカソリストをも兼任した。また菅野よう子氏が音楽を手がける「海街diary」「ごちそうさん」「マクロスF」「アクエリオンEVOL」「坂道のアポロン」等に参加。「おかあさんといっしょ」「いないいないばぁ」等教育系番組の録音をも行っている。 == 人物 == === 来歴 === 福岡県生まれ埼玉県育ち。血液型A型。音楽好きの両親の元に生まれるが、専門的な音楽教育を受けることなく幼少期を過ごす。初の転機は小学校3年時に音楽の授業で与えられたリコーダー。始業のチャイムのメロディーをリコーダーで真似したところ友人に賞賛され、TVやCM、ゲーム、または学校でよく流れている曲を演奏しながら次第に絶対音感を身につけてゆく。それから1年後、母親にフルートを買い与えられたが、身体がとても小さかったため横に構えるフルートは負荷が高くあまり好きになることはなかった。中学校のブラスバンドではクラリネットを選択する(B♭管の感覚に馴染めず、後々フルートに転向する)。本と歴史を好み、埼玉県立伊奈学園総合高等学校人文系に進む。強豪として知られた吹奏楽部に入部し、そのサウンドに感動し音楽とフルートに魅了される。高校2年時の終わりに、教師から東京藝大を勧められ、学費のあまりかからない音大の存在を知り、悩んでいた進路を決定づけることとなった。焦眉の急でフルートとピアノのレッスンに通い始め、浪人の末、東京藝術大学音楽学部器楽科に進む。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多久潤一朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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