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多 入鹿(おお の いるか、天平宝字3年(759年) - 弘仁7年10月3日(816年10月26日)は、平安時代初期の公卿。姓は朝臣。官位は従四位下・参議。 == 経歴 == 延暦12年(793年)少外記、のち式部少丞・播磨大目・同少掾を経て、延暦17年(798年)従五位下に叙爵。のち兵部少輔・少納言・近衛将監を歴任する。 大同元年(806年)平城天皇が即位すると、その側近として中衛少将に任ぜられる。その後は急速に昇進し、大同3年(808年)正五位下・右少弁、翌大同4年(809年)には従四位下・山陽道観察使に叙任され公卿に列した。 大同5年(810年)観察使制度の廃止により参議に転ずる。同年10月に発生した薬子の変では東国へ向かおうとした平城上皇を懇切に諫止したが受け入れられず、結果的に連座して参議を解任され、讃岐守、次いで安芸守、讃岐権守に左遷された。 弘仁7年(816年)10月3日死去。享年58。最終官位は散位従四位下。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多入鹿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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