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多入鹿 : ミニ英和和英辞書
多入鹿[おお の いるか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [にゅう]
 【名詞】 1. go in 
鹿 : [しか]
 【名詞】 1. deer 

多入鹿 : ウィキペディア日本語版
多入鹿[おお の いるか]
多 入鹿(おお の いるか、天平宝字3年(759年) - 弘仁7年10月3日816年10月26日)は、平安時代初期の公卿朝臣官位従四位下参議
== 経歴 ==
延暦12年(793年少外記、のち式部少丞播磨大目・同少掾を経て、延暦17年(798年従五位下叙爵。のち兵部少輔少納言近衛将監を歴任する。
大同元年(806年平城天皇が即位すると、その側近として中衛少将に任ぜられる。その後は急速に昇進し、大同3年(808年正五位下右少弁、翌大同4年(809年)には従四位下山陽道観察使に叙任され公卿に列した。
大同5年(810年)観察使制度の廃止により参議に転ずる。同年10月に発生した薬子の変では東国へ向かおうとした平城上皇を懇切に諫止したが受け入れられず、結果的に連座して参議を解任され、讃岐守、次いで安芸守、讃岐権守に左遷された。
弘仁7年(816年)10月3日死去。享年58。最終官位は散位従四位下。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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