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多功城 : ミニ英和和英辞書
多功城[たこうじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 

多功城 : ウィキペディア日本語版
多功城[たこうじょう]

多功城(たこうじょう)は、下野国(現在の栃木県河内郡上三川町)にあった中世の日本の城である。宇都宮氏の一門・多功氏の居城であった。
== 歴史・沿革 ==
多功城は鎌倉時代後期にあたる宝治2年(1248年)に、宇都宮頼綱の七男多功宗朝によって築かれたといわれている。
小山、薬師寺から宇都宮に通じる要路にあり、多功氏と同じく宇都宮氏一門の横田氏横田城と並び、宇都宮城の防衛に大きな役割を果たした。
戦国時代になると宇都宮城を防衛する拠点として大いに機能し、上杉氏後北条氏の苛烈な侵攻を幾度も撃退している。弘治3年(1557年)に上杉謙信の軍勢が宇都宮城を攻略するために多功城、上三川城を攻撃するが、多功城主の多功長朝の采配のもと、一門の児山城児山兼朝簗城簗朝光吉朝父子、家臣の石崎通季野澤保辰高木道重上野祐朝伊澤遠江守木田淡路守、援軍で駆け付けた祖母井吉胤矢板長則などの2000余りの軍勢の活躍によって、先陣の佐野豊綱などを討ち取り、撃退している。
元亀3年(1572年)1月には後北条氏が2000の軍勢で多功城に攻めてきたが、多功城主で多功長朝の子多功房朝が迎え撃ち、撃退している。さらに同年12月に再び後北条氏が攻めてきているが、こちらも撃退に成功している。
天正13年(1585年)12月に後北条氏が再び多功城に攻めてきた。多功城主で多功房朝の弟多功綱継による徹底抗戦により、またもや後北条氏多功城を攻略できなかった。また、宇都宮城も攻略できず、宇都宮城下町の民家や寺院などに火を放つのみで撤退している。
天正17年(1589年)9月に、後北条氏が再び宇都宮城を攻略するために侵攻してきた。綱継は多功城に攻めてきた北条氏邦・後北条氏に寝返った宇都宮氏重臣芳賀高継と戦い、これを撃退している。
このように多功城は、宇都宮氏にとって欠かせない城であったが、慶長2年 (1597年) に豊臣政権の内部争いに宇都宮氏が巻き込まれて改易されると、多功城は廃城になった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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