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多功氏(たこうし)は、日本の氏族。表記は多劫氏とも。 == 概要 == 多功氏は下野宇都宮氏の庶流で、宇都宮頼綱の7男・多功宗朝が宝治2年(1248年)に下野国河内郡に入って多功氏を称したことを起源とする〔郷土かみのかわの歴史・文化財pdf 〕。宗朝は多功城を築いてこれを居城とした。多功城はこの後350年にわたって多功氏の居城となった〔。 天文年間(1532年 - 1555年)の五月女坂の戦いでは、合戦には敗れたものの活躍を見せた〔『戦国人名事典 コンパクト版』、489ページ〕。永禄元年(1558年)には上杉謙信の関東侵攻に巻き込まれ、多功城は上杉軍に包囲されている〔。当時の城主・多功長朝は奮戦して城を守り切り、攻め手の佐野豊綱(佐野小太郎)を戦死させる活躍を見せた〔〔。元亀3年(1572年)と天正12年(1584年)の2回にわたって北条氏政に攻められるも、長朝とその子・房朝らはこれに耐えている〔。天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、宇都宮国綱の名代として従軍した〔。 しかし、下野宇都宮氏が慶長2年(1597年)に改易されると、多功氏も主家と命運を共にした〔。一族の一部は今治藩松平氏に仕えたという〔。 子孫が現在も多功城跡に居住している〔武家家伝 多功氏 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多功氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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