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多 忠麿(おおの ただまろ、1933年12月5日 - 1994年12月19日)は、雅楽師、日本芸術院会員。芸術院会員多忠紀(多忠龍の子)の子。重要無形文化財「雅楽」保持者(総合認定)。宮内庁楽部楽長。 『雅楽のデザイン 王朝装束の美意識』(小学館、1990)を編纂した。また雅楽団体「東京楽所」(1973年結成)の代表として廃絶曲や現代曲の演奏にも力を注いだ。 == 略歴 == 1933年、奈良時代より続く宮廷雅楽師の家系に生まれる。1946年に宮内庁楽部楽生となる。1949年から1951年まで東京藝術大学専科でトランペットを専攻。1952年に宮内庁楽部楽師に任官され、1980年には楽長補、1993年には楽長となる。1990年に日本芸術院賞受賞、1991年には芸術院会員となる。1994年に癌により〔Journals: 1947-2004 Donald Richie Stone Bridge Press, 2005/09/01 (11, January 1996付けの記事)〕死去。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多忠麿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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