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多治比 宇美(たじひ の うみ、生没年不詳)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。名は海とも記される。右大弁・多治比国人の子〔中田憲信『皇胤志』〕。官位は従四位上・右中弁。 == 経歴 == 宝亀11年(780年)従五位下に叙爵し、翌天応元年(781年従五位上に叙せられる。民部少/大輔を経て、延暦4年(785年)正五位下・陸奥守に叙任されて、陸奥按察使と鎮守副将軍を兼ねて、宝亀の乱終結後の蝦夷征討の任にあたる。延暦7年(788年)鎮守将軍。なお、この間の延暦8年(789年)には征東将軍・紀古佐美による大規模な遠征が行われるも、巣伏の戦いで蝦夷に大敗しているが、宇美の動静は明らかでない。 延暦9年(790年)右中弁に任ぜられて京官に復し、延暦10年(791年)には武蔵守に任ぜられている。延暦16年(797年)従四位上に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多治比宇美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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