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多治比広成 : ミニ英和和英辞書
多治比広成[たじひ の ひろなり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ひ]
  1. (n,n-suf) (1) ratio 2. proportion 3. (2) Philippines 

多治比広成 : ウィキペディア日本語版
多治比広成[たじひ の ひろなり]
多治比 広成(たじひ の ひろなり、生年不詳 - 天平11年4月7日739年5月22日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族右大臣多治比嶋の五男。官位従三位中納言
== 経歴 ==
和銅元年(708年従六位上から三階昇進して従五位下叙爵され、下野守に任ぜられる。その後、元明朝から元正朝にかけて越前守能登越中越後の三国を管轄する按察使など地方官を歴任する傍ら、和銅5年(712年)従五位上、霊亀3年(717年正五位下、養老4年(720年)正五位上と順調に昇進する。
神亀元年(724年聖武天皇即位後まもなく従四位下に叙せられる。天平4年(732年)第10次遣唐使の大使に任ぜられ、翌天平5年(733年)4月に難波津からに向けて出発〔『続日本紀』天平5年4月3日条〕、天平6年(734年)11月に唐から種子島に無事帰着する〔『続日本紀』天平6年11月20日条〕。帰国翌年の天平7年(735年)遣唐大使の功労により二階昇進して正四位上に叙せられた。
天平9年(737年)8月に参議に任ぜられるが、9月には早くも従三位中納言に叙任される。天平11年(739年)4月7日薨去。最終官位は中納言従三位兼式部卿。
漢詩人として、『懐風藻』に漢詩作品3首が採録されている。また、広成が遣唐大使として唐に渡る直前、約30年前の第8次遣唐使で渡唐していた山上憶良の邸宅に挨拶に訪れた際に、憶良から広成に贈られた、往来の無事を祈る和歌が『万葉集』に記されている〔『万葉集』巻5-894〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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