|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 多 : [た] 1. (n,pref) multi- ・ 比 : [ひ] 1. (n,n-suf) (1) ratio 2. proportion 3. (2) Philippines ・ 長 : [おさ] 【名詞】 1. chief 2. head ・ 野 : [の] 【名詞】 1. field
多治比 長野(たじひ の ながの、慶雲3年〔『公卿補任』〕(706年) - 延暦8年12月22日(790年1月11日))は、奈良時代の公卿。名は永野とも記される。大納言・多治比池守の孫。鋳銭長官・多治比家主の子。官位は従三位・参議。 == 経歴 == 天平神護元年(765年)従五位下に叙爵。刑部大判事・造東大寺長官・大和介を経て、神護景雲3年(769年)従五位上に叙せられる。光仁朝では、宝亀2年(771年)正五位下、宝亀7年(776年)正五位上、宝亀9年(778年)従四位下と順調に昇進する一方、三河守・出雲守・摂津大夫と主に地方官を歴任した。 桓武朝でも、延暦3年(784年)従四位上、延暦4年(785年)正四位上と引き続き順調に昇進を続けながら、伊勢守・近江守といった地方官や、刑部卿を歴任する。延暦6年(787年)従三位に叙せられて公卿に列し、延暦8年(789年)正月に参議に任ぜられたが、同年12月22日薨去。享年84。最終官位は参議兵部卿従三位。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多治比長野」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|