翻訳と辞書
Words near each other
・ 多田グリーンハイツ
・ 多田ヒロシ
・ 多田ヶ岳
・ 多田一臣
・ 多田三八
・ 多田三八郎
・ 多田中学校
・ 多田亜沙美
・ 多田仁綱
・ 多田佳子
多田侑史
・ 多田信作
・ 多田修
・ 多田健一郎
・ 多田健二
・ 多田優次
・ 多田元吉
・ 多田光
・ 多田光雄
・ 多田克己


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

多田侑史 : ミニ英和和英辞書
多田侑史[ただ ゆうし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ゆう]
 (n) gift

多田侑史 : ウィキペディア日本語版
多田侑史[ただ ゆうし]

多田 侑史(ただ ゆうし/ゆうじ、本名:多田嘉三郎(嘉七とも)〔「嘉七」は家代々の名〕、1915年 - )は、茶人、有職故実研究者。関東における裏千家茶道布教に尽力。裏千家東京出張所初代所長。薪能再興の中心人物。平成25年2月25日逝去(97歳)
== 出自 ==
生家は神戸本山(現在の岡本)大阪の繊維問屋「多田利」を営む。谷崎潤一郎をして神童と言わしめた天才。谷崎潤一郎が阪神間本山に住んだ時の家主の息子。
戦後の混乱期、私財を投じて武智鉄二らと雑誌『観照』を刊行(1946年 - 1952年)、谷崎を始めとする多くの文化人を支援する。のち本業の繊維問屋が左前になると嘉七の名を廃して上京、産経新聞社に入り、のち裏千家15代家元千宗室の執事役を務める。京大教授の多田道太郎は甥(森彰英)。
特に親しい交友関係に三島由紀夫市川右太衛門観世栄夫桜馬道男坂東三津五郎池田彌三郎松田修小西甚一森川昭林屋晴三三隅治雄などがいる。
頻繁に勉強会を開催し熊倉功夫筒井紘一等の多くの茶道研究家を育てる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「多田侑史」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.