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多田 大介(ただ だいすけ、1982年8月11日 - )は、岡山県出身のプロサッカー選手、サッカー指導者。タイ・ディヴィジョン1リーグ・シーラーチャーFC所属。ポジションはゴールキーパー。 == 来歴 == 東海大学付属第五高校3年次に全国高等学校サッカー選手権大会出場経験がある。2001年にセレッソ大阪に入団〔新加入選手についてのお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2001年1月19日〕。2003年の途中から下川誠吾に代わってレギュラーの座に就いた。しかし、2004年は伊藤友彦、2005年は吉田宗弘が正GKに据えられため出場機会は得られなかった。 C大阪には2007年まで在籍したが、出場機会には恵まれず2008年に愛媛FCへ完全移籍〔多田 大介選手 愛媛FCへ完全移籍のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2007年12月24日〕。川北裕介と正GKを争い、自己最多の21試合に出場したが2009年に愛媛からの期限付き移籍で古巣C大阪へ復帰し〔愛媛FCより多田大介選手 期限付き移籍加入のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2009年1月10日〕、シーズン終了後完全移籍。だがC大阪では背番号1を貰いながらもキム・ジンヒョンの前に出場機会に恵まれず、チームのJ1昇格を見届けて2010年は大宮アルディージャへ期限付き移籍〔多田 大介選手 大宮アルディージャへ期限付き移籍のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2009年12月27日〕。しかし、北野貴之と江角浩司の後塵を拝し、出場機会は1度もなかった。 2011年はJ2に昇格したガイナーレ鳥取へ完全移籍〔多田 大介選手(セレッソ大阪) 新加入のお知らせ ガイナーレ鳥取、2011年1月10日〕。鳥取でも小針清允が正GKとして起用されたため出場機会に恵まれず、2012年はFC岐阜に期限付き移籍〔多田 大介選手 FC岐阜へ期限付き移籍のお知らせ ガイナーレ鳥取、2012年1月11日〕。長く正GKを務めてきた野田恭平から定位置を奪い、第3節のホームザスパ草津戦では大雨で非常に滑りやすいピッチコンディションの中で無失点に抑えた。だが、中盤戦以降は同じく新加入の時久省吾にポジションを奪われた。シーズン終了後、期限付き移籍期間満了で岐阜を退団〔多田大介選手、期限付き移籍期間満了のお知らせ FC岐阜、2012年11月23日〕。11月24日、所属元の鳥取から契約満了に伴い契約更新しないと発表された〔契約満了選手のお知らせ ガイナーレ鳥取、2012年11月24日〕。 2013年4月9日に武田洋平が練習中に右膝内側側副靭帯によって全治5週間と診断され、4月11日にC大阪のオファーを受け4年ぶりに復帰した〔多田大介選手 加入のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2013年4月11日〕。 2014年1月、契約満了により退団〔 セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2014年1月16日〕。同年2月、タイ・プレミアリーグのチョンブリーFCへ移籍し、すぐにタイ・ディヴィジョン1リーグのシーラーチャーFCへ選手兼GKコーチとして期限付き移籍した〔多田大介選手 シーラーチャーFCへ移籍のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2014年2月18日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多田大介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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