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多田 清(ただ きよし、1905年 - 1991年)は、日本の実業家。相互タクシーの創業者である。 ==経歴== 福井県勝山市の裕福な庄屋に生まれるが、父の事業失敗により大阪へ逃げるように移り住む。小学校卒業後は雑穀問屋で丁稚奉公をしていたが、そのお得意先から店を任されることとなる。しかし、地の利が良くなかったことから1年半で閉店。以後は兵役と新規事業の貯金のための大阪港での沖仲士をする傍ら、自動車運転の免許を取得した。 退役後は市岡でタクシーの運転手となり、後に労働組合を結成。その後、労使交渉の末に経営権を獲得する。 戦時中は木炭車の研究をし、徴兵されてもなお、70回以上の試行錯誤を重ね、完成させる。その後戦況の悪化で石油不足となっていったが、多くの車両を確保した。その後は敗戦に備えるために山林の購入や平和産業の株式購入などを命じた。 戦後は営業所システムを導入し、走りながら客をとる従前のシステムの対抗馬となった。 また、1960年には社団法人大阪旅客自動車組合の理事長となったほか、1970年には大阪上本町にタクシー会館を寄贈。分裂していた大阪タクシー協会と大阪自動車協会の橋渡しとなり、後に両協会は統合された。 オイルショックの際は運転手からの反発も多い中、他社よりいち早く小型車を導入。国からの省エネ要請で他社が車両を減らすなか、相互タクシーは車両を多く運転できた。 晩年は越前大仏の建立など、社会貢献事業を実施したが、志半ばで病に倒れ、死去。享年86。葬儀は家族や社員、お得意先など3000人が集まった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多田清」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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