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多田 省吾(ただ しょうご、1931年(昭和6年)2月18日 - 2010年(平成22年)9月4日〔多田省吾氏死去 元公明党参院議員 - 47NEWS(よんななニュース) 〕)は、日本の政治家。山形県山形市出身。東北大学工学部化学工学科卒業。元参議院議員(4期)。 == 経歴 == 1931年2月18日、山形県山形市に生まれる。 1953年、東北大学工学部化学工学科を卒業し、聖教新聞社に勤める。 1965年7月4日、第7回参議院議員通常選挙に、全国区から、公明党公認で立候補し、初当選(以降4回)する。 1970年代に、公明党副委員長に就任し、15年以上に渡り務める。公明党参議院議員団長の二宮文造の後任として、公明党参議院議員団長に就任する。日中国交正常化交渉の際、第2次、第3次訪中団に参加する。 1989年、第15回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界を引退。任期満了直前の国会で永年在職表彰を贈られる〔第176通常国会・本会議会議録第1号 - 参議院ホームページ、2011年1月17日閲覧。〕。 政界引退後は、第三文明社代表取締役を歴任する。元公明党副委員長の大久保直彦と共に、「公明党をサポートする会」を結成し、代表を務める。 2010年9月4日、脳こうそくのため死去。79歳没〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多田省吾」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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