|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 多 : [た] 1. (n,pref) multi- ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 真 : [まこと, しん, ま] 1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness ・ 美 : [び] 1. (n,n-suf) beauty
大地 真央(だいち まお、1956年2月5日 - )は、女優で元宝塚歌劇団月組男役トップスター。 本名:森田 真裕美(もりた まゆみ)、旧姓:多田(ただ)。兵庫県洲本市出身。身長166センチ、血液型B型。愛称は真央、マミ。 == 来歴・人物 == 外国航路船長職・陸軍軍人などの経験をもつ父と横浜市出身の母のもと、三人姉妹の末子として出生。4歳から日本舞踊を始める〔スポーツ報知 2013年8月10日、28面「おゝ宝塚100周年 8」〕。 洲本市立洲本第二小学校を卒業し、洲本市立洲浜中学校在学中に、ひょんなことから舞台に立ち、その面白さから芸能活動を希望し、父に相談するも猛反対されてしまう。しかし、「宝塚歌劇団なら軍隊なみに規律が厳しいから、ためになるのではないか」との父の軍隊時代の友人の進言があり、受験を決意。また、いとこにはコマ・スタジアムの社長だった白川公一がおり、毎年「宝塚カレンダー」が送られてきていた〔。 数か月の受験レッスンを受け、49人中42番目の成績で一発合格〔。中学卒業後1971年、宝塚音楽学校に入学。 1973年、59期生として宝塚歌劇団に入団。芸名の「真央」は幼い頃から考えていたもので、「大地」は長姉の提案だったという〔。星組公演『花かげろう/ラ・ラ・ファンタシーク』〔で初舞台を踏む。宝塚入団時の成績は49人中25番〔監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』 阪急コミュニケーションズ 2014年4月1日 85頁。ISBN 9784484146010〕。同期に平みち・姿晴香・四季乃花恵(笹本玲奈の母)・山城はるか・未沙のえる・湖条千秋らがいる。現役では専科所属の一樹千尋がいる。 翌年4月〔、月組に配属。新進男役スターとして早くから注目される。 1973年にラジオ番組『MBSヤングタウン』(毎日放送制作)土曜日公開放送(司会:桂三枝(現・六代目桂文枝))のアシスタントを務める。 1975年にはサンミュージックプロダクションのマネージメント協力のもと、アイドルとして『悲しみのアイドル』(日本コロムビア)のレコードリリース・テレビ・CM出演など活動(劇団内のオーディションで決まった約1年半の期限付き活動)を行ってきた。この時のキャッチフレーズは「まぶしいアイドル 太陽の19歳」〔。活動当初はあまり注目も集まらなかったために、レコードセールスなどは芳しくなかった。その後歌手としての活動は自然消滅している。 舞台では、1976年、『ベルサイユのばらIII』の小公子(役代わり公演ではフェルゼン役)など目立つ役どころを務めるようになる。また新人公演の主役を多数務める。 1980年、当時の月組トップ兼副組長の榛名由梨のもと二番手男役になる。 1981年の本公演『新源氏物語』では日程中数日間主役・榛名にかわり光源氏を演じた。 1982年、『あしびきの山の雫に』で大津皇子を演じる。同公演では入団1年目の黒木瞳が相手役の石川郎女役に大抜擢され、併演のショーでも大地と組んだ。榛名の専科異動に伴い、『愛限りなく/情熱のバルセロナ』で月組トップスターの座に就く。トップ娘役には黒木が就任したが、『愛限りなく』(『春琴抄』)では若手娘役:春風ひとみが相手役となり、『情熱のバルセロナ』ではベテラン女役スターの条はるきも黒木と並び別格スターとして大地の相手役をつとめた。 1984年、自ら劇団に企画を提案し『ガイズ&ドールズ』日本初演でスカイ役を演じた。1985年9月1日〔に『二都物語/ヒートウェイブ』で黒木と共に退団。以後は女優としてミュージカルなど舞台を中心に活躍をしている。特に『風と共に去りぬ』のスカーレット役・『マイ・フェア・レディ』のイライザ役が当たり役として知られる。イライザ役については、2010年の博多座、中日劇場、東京公演にて卒業することが発表されている〔大地真央がイライザ役を卒業!『マイ・フェア・レディ』制作発表会(2010年6月25日、シアターガイド) 〕。 2010年の『マイ・フェア・レディ』博多座公演初日では、東宝ミュージカル主演2300回を達成し、10月29日には『マイ・フェア・レディ』の主演600回を達成した。〔大地真央イライザ主演600回達成!! 〕 私生活では舞台『風と共に去りぬ』他で共演が多かった松平健と1990年に神前結婚したものの、2004年に離婚。多忙によるすれ違い(松平はテレビ朝日の『暴れん坊将軍』の撮影や舞台公演などが多かった)、子宝に恵まれなかった事、また当時としては高齢結婚(松平が37歳、大地が34歳だった)が原因といわれている〔その後松平は松本友里と再婚したが、2010年に松本は死去した〕。 現在の夫・インテリアデザイナー森田恭通とは2007年再婚。3月14日、ファンクラブの公式ホームページにて婚約を発表。大地よりも12歳年下でインテリアデザイナーとして、東京・大阪・他ニューヨークや香港などにあるレストランやバーの店内のデザインをあまた手がける森田との婚約は多方面から祝福され7月25日、フランス・シャンパーニュ地方の教会で挙式、現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大地真央」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|