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多田護 : ミニ英和和英辞書
多田護[ただ まもる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

多田護 : ウィキペディア日本語版
多田護[ただ まもる]

多田 護(ただ まもる、1941年2月23日 - )は、日本アナウンサー北海道出身〔外部リンク(TBS在職当時、同ホームページ内に掲載されたプロフィール)より。〕〔外部リンク(キャスト・プラスホームページ内プロフィール)参照。〕(幕別町明野生まれ〔外部リンク(『わたしの十勝』2008年12月13日付配信分に掲載されたプロフィール)を参照。〕)。身長172cm、体重76kg〔。血液型O型〔。
== 来歴・人物 ==
北海道帯広三条高等学校明治大学政経学部卒業〔〔後、1965年4月にTBS〔2001年9月までラジオテレビ兼営局だったが、同年10月にラジオを子会社のTBSラジオ&コミュニケーションズへ、2009年4月にテレビを子会社のTBSテレビへ移行させるとともに持株会社化し「東京放送ホールディングス(TBSHD)」へ社名変更。それに伴い「TBS」の略称も子会社TBSテレビへ移行した。〕へアナウンサー第10期生として入社〔『TBS50年史』資料編P237-238に掲載された、アナウンサー第10期生のリストを参照。このうち、多田の情報はP238に掲載。〕〔『TBSアナウンサーの動き』P18-20に掲載された、アナウンサー第10期生のリストを参照。このうち、多田の情報はP19に掲載。〕。1966年1月にラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部兼報道局ニュース取材部、1967年11月にアナウンサー研修室付兼報道局ラジオニュース部へそれぞれ配属〔。
1968年6月に報道局運動部兼アナウンサー研修室付の配属となって以降は、主にスポーツアナウンサーとして中継・情報番組で活動した。主な中継担当競技は、野球〔〔〔・テニス〔〔・ゴルフ〔〔・フィギュアスケート〔〔・陸上競技〔。1983年の『'83 グンゼ・ワールドテニス』では、第9回アノンシスト賞テレビ番組部門最優秀賞を受賞した〔。
その間、1970年7月よりラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道局運動部〔、1979年12月よりアナウンス室兼テレビ本部第二制作局スポーツ部〔、1991年5月よりアナウンサーセンター兼スポーツ局にそれぞれ在籍した〔。
1994年6月15日から1997年6月3日まではTBSアナウンスセンター長を務め〔『TBS50年史』資料編に掲載された「主要役職者任期一覧」(P43-47)より、歴代アナウンスセンター長のリスト(P46掲載)を参照。〕、その後は社長室秘書部へ在籍〔し、2001年2月に定年〔〔退職〔。退職後は、フリーアナウンサーとなる〔。2005年頃よりクリエイティブ・メディア・エージェンシー(CMA。2010年より、キャスト・プラス)所属〔外部リンク(2005年12月頃のCMAウェブサイト)を参照。〕。また、TBSアナウンススクールの特別講師も務めた。
帯広三条高校常磐同窓会の関東地方の支部である「東京三条常磐会」の会長も務める〔東京三条常磐会サイト内プロフィール - ※役員リストあり。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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