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多田 貞綱(ただ さだつな、生没年不詳)は、南北朝時代の南朝方の武将。詳しい系譜は不明であるが摂津源氏の流れを汲む多田氏の一族であるとされる〔建武元年(1334年)8月に貞綱の親族で父親とも推測される沙弥蓮性なる人物が朝敵追罰のため津軽へと下向する貞綱の武運を祈願して摂津国多田院の惣社六所権現に六反半の田を寄進している(『多田神社文書』)。〕。官職は木工助。 == 生涯 == 建武元年(1334年)4月に北畠顕家に従い陸奥国多賀城に下る。その後、南部師行・工藤貞行らと共に北条氏残党討伐のため津軽地方に派遣され没収地を南部氏に預けた(『南部氏文書』)。同4年(1137年)、顕家の命を受け春日顕国と共に下野国小山城を攻める(『茂木文書』)。その後顕家の再上洛に従い、顕家の死後は北畠顕信のもと再び奥州に下向している。 その子孫は津軽地方に残り、唐牛館主の多田氏(唐牛氏)や三ッ目内館の館主多田玄蕃もその末裔といわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「多田貞綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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