翻訳と辞書
Words near each other
・ 多賀敏行
・ 多賀新
・ 多賀村
・ 多賀村 (兵庫県)
・ 多賀村 (愛媛県)
・ 多賀村 (滋賀県)
・ 多賀村 (静岡県)
・ 多賀栄太郎
・ 多賀榮太郎
・ 多賀氏
多賀清直
・ 多賀潤一郎
・ 多賀火山
・ 多賀町
・ 多賀町 (曖昧さ回避)
・ 多賀町 (茨城県)
・ 多賀神社
・ 多賀神社 (多賀城市)
・ 多賀神社 (宮城県名取郡)
・ 多賀神社 (松山市)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

多賀清直 : ミニ英和和英辞書
多賀清直[たが きよなお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

多賀清直 : ウィキペディア日本語版
多賀清直[たが きよなお]
多賀 清直(たが きよなお、生年不詳 - 文明11年8月21日1479年9月16日))は、室町時代後期から戦国時代前期の武将多賀高直(たかなお、昌宗入道)の子で宗直の父。妹に多賀高忠室。通称は四郎右衛門尉、官位は出雲守。号は徳源。京極氏の家臣多賀氏の一族で多賀出雲守家の出身。元服時に最初の主君・京極持清から偏諱の授与を受けて清直と名乗る。
応仁の乱の最中の文明2年(1470年)に持清が没し、持清の嫡孫孫童子丸を擁立した孫童子丸の叔父京極政経と義弟の多賀高忠に反発、政経の兄政光と共に孫童子丸の庶兄乙童子丸(後の高清)を擁立して西軍に寝返り、六角高頼斎藤妙椿らと組んで政経・高忠と交戦した(京極騒乱)。一時は高忠の前に苦戦を強いられるが、文明4年(1472年)9月に六角高頼・斎藤妙椿らの加勢で高忠を破った。
文明7年(1475年)に出雲国人を率いた高忠が反撃したが、11月に土岐成頼斯波義廉の援軍で勝利、北近江の領有を確実とした。文明4年に政光が亡くなってからは子の宗直と共に文明11年(1479年)に死去するまで乙童子丸の補佐と北近江の統治を行った。
== 参考文献 ==

* 多賀町編『多賀町史 上巻』多賀町、1991年。
* 今谷明藤枝文忠編『室町幕府守護職家事典(上)』新人物往来社、1988年。
* 宮島敬一人物叢書 浅井氏三代』吉川弘文館、2008年。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「多賀清直」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.